2023年度読書会記録

2023年度
回 /開催日 /本 /著者 /店 /幹事


483 28/12/23/『灯台の響き』/宮本輝/兼平鮮魚店/中島久代
* 2023年納めのKeysには、東京のKさんが帰福、加えて大学の研究室のS先輩も参加、納めの読書会に相応しい、作家と作品をめぐってコメントが飛び交うKeysとなりました。宮本輝の『ドナウの旅人』や『錦繍』と、最近の『田園発 港行き自転車』や『灯台の響き』の違和感をどう捉えるか。遡って、先月の『鍵』の谷崎の文体と棟方志功の版画の組み合わせが与えるインパクトは何か。谷崎、三島の再来平野啓一郎、ノーベル文学賞を取れない村上春樹、この3名の文体とは。異論もあるが、議論が楽しい、Keys原点の夜でした。(H. N.)
* 中華そば屋を朝から晩まで夫婦二人で切り盛りし、全てを知っているはずの妻の急死。引きこもる康平が「神の歴史」から妻の謎「灯台巡りの絵葉書」を手にする。康平は一歩ずつ動き始める。謎解きと自らの灯台巡り、子供や友人など様々な人たちとの関わりが一層深くなり、店を一人で再開する意欲を得る。最後は日御碕灯台の雄大な景色が、神のように人々の前途を照らしている。 (N. N.)
* 40年前に太平洋を縦断する50日間の船旅をした。海上で灯台があることを知るのは夜になってから。日中は空と海の色に混じりその姿に気がつかなかった。そんな灯台のことを「動かず、語らず、感情を表さず、何事にも動じない、…多くの苦労に耐えて生きる無名の人間そのもの」(文庫本p335)と主人公は語る。日が落ちると点灯して航路を照らす灯台のように、足下がおぼつかない人や道に迷っていたりする人に灯りをともす人間に、私もいつかなれるだろうか。(H. K.)
* 1960年(昭和35年)4月の大学入学以来、連日の安保闘争のデモに参加していた日々は、それなりに「新しい生活」の充実感に満たされていた。6月15日、デモに参加していた東大生樺美智子の死は、厳しい一つの現実を私に突きつけた。夏休みに入って、私は「日御碕灯台」に旅した。なぜそこを選んだかは覚えていない。下関の山奥から福岡の地に出てきたことは、私にとっては外界への大きな一歩であった。そしてこの出雲への旅は、第二の大きな一歩であったと言えよう。断崖に打ち寄せる日本海の荒波と空気を切り裂くように舞う無数のウミネコの姿と鳴き声は、人間界とは別個に存在する大きく厳しい自然界があることを教えてくれた気がする。この小説の主人公にとっては「日御碕灯台」は終着点であったが、私には8年後の(アメリカからの帰路)二週間の太平洋横断の船旅の出発点であった気がする。(M. Y)

482 25/11/23/『鍵』/谷崎潤一郎/ホテル日航福岡 カフェレストランSERENA/山中光義
* 夫婦の性的嗜好の異常さを赤裸々に、お互いの日記の盗み見で、より妄想を膨らませ死をも畏れなくなる。暮らしぶりやファッションなどの生活環境は徹底して品がよく、その相対性に魅力が増す。また、主観のみの個人の日記という形に、最後に客観的な視点を入れ、自虐的でコメディ的なオチをつけている。谷崎潤一郎という作家が晩年に書いた作品と考えると凄いとしか言いようがない。(N. N.)
* 挿入された59点の棟方板画について:身体全体の輪郭、眼、鼻、口、乳首、その他のポイントのみを黒く、それによって、横たわる郁子の裸体は純白で尊い「女人菩薩」を思わせる、しかし、他方で、「生れつき体質的に淫蕩であった」ということを匂わす場面では全体が真っ黒で、各ポイントのみが白く光っているように見える。最後の数ページで明かされるように、「夫の死をさえたくらむような心が潜んでいた」彼女は、紛れもなく、19世紀末から20世紀初頭の世紀末芸術・西欧文学において好んで取り上げられたモチーフであるファム・ファタール(仏: femme fatale)、男にとっての「運命の女」(=「男を破滅させる魔性の女」)に属すだろう。人間の中に潜む二局性か、、、。付け加えるならば、新婚旅行の初夜の場面で、眼鏡を外した夫の顔、「アルミニュームのようにツルツルした皮膚」にゾウッと身震いしたとあるが、この場面では、外れた眼鏡だけがポツンと彼女の下腹部に放置されている。棟方の見事なユーモアが表現されており、陰湿になりかねない内容に一服の清涼感を与えている、と感じた。 (M. Y.)
* 京都の旧家に育ったたしなみ深い価値観を持つ一方で、自分中に流れる淫蕩の血に気がついている妻。「読まれることがどれだけわたしをわたしにするのかあなたは知らない」として、盗み読みされていることを知りながら妻は日記を書、その最後で夫の死を企てていた結末が明かされる。そこまで読んで、身体の深いところまで変態的に妻を愛していた夫=世の男性が愛らしく思えて仕方ない。(H.K.)

481 /10/23/『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』/川上弘美/休会/渡邊稔子
* 還暦を迎え、社会的にはひとつの区切りをつける時期でありながら、個人的にはこの物語のような、ふわふわした関係性の中で生きています。「結局、中学生が少し複雑になっただけか…」作中のこの台詞が代弁してくれたように感じました。このままでいいと背中を押してもらったようです。 (T. W.)
* 60代で年齢的に近く、久しぶりに会った友だちからコロナ禍での出来事や感じたことを、たっぷり聞かせてもらったような読後感。私たちの年齢では帰国子女は少数派。それぞれの国での日々の生活で、幼いながら「違うという感覚」を鋭敏に感じてしまう。様々な人物が登場するが、年齢が重なることで、さらに生活の事細かな部分で感じ方の違いを自認するようになったり、容認できるようになったりの自問自答を楽しめた。 (N. N.)
* 「古くから堆積した記憶は、おそらく捏造されたり改変されたりしているにもかかわらず、なんと強固に記憶の中にとどまり続けているのかと、あっけにとられるところもあった。」という一節があるが、私の場合もその通りで、それらが殆ど毎晩みる夢の中で展開し、齢(よわい)80を過ぎて益々盛んになってくるので退屈しない。終末の床にあってもきっとそうであろうと想像し、楽しく最後を迎えられるだろうと思っている。 (M. Y.)

480 /9/23/「52ヘルツのクジラたち」/町田そのこ/休会/末信みゆき
(幹事より)本を通して、毒親の存在をリアルに体感しました。逃げ場のない子どもたちを親から引き離すことができたとしても、それで幸せになれる訳ではなく、心の傷は消えないのだろうと思うと辛いです。
* 親の愛情の遮断、様々な形の虐待から絶望的な「孤独」を抱える登場人物たちの、奇跡的な出会いによる成長の兆しが見えたところで物語が終わった。途中、読むのも辛い内容でしたが…。現状、「子どもをちゃんと見ていない」ことで様々な事件が報じられている。「信じられない。どうして」という思いで胸が痛むばかりである。小説の人物たちは遮断された環境ゆえに死と隣り合わせで生きている。その感情の繊細な浮き沈みがリアルに表現され、説得力がありました。(N.N.)
* 子どもへの虐待、ヤングケアラー、恋人のDVと様々な問題に面した主人公の女性は、自分の声は、誰にも届かない「52ヘルツの声」だと言う。果たしてそうであろうか。「愛の反対は憎しみではなく無関心」と言ったのはマザー・テレサだが、愛を欲していた主人公は、ずっと無関心に晒されているわけではなかった。居場所を探して会いに来てくれた友人や、移住した田舎で知り合った地元の男性などがよい感じに関わってくれていることで救われている。気になったのはようやく探し当てた祖母。「孫」について適切な判断をできる人が、その昔に自分の娘をただ置いて家を出る判断をするだろうか。そうしたかどうかで物語の事情が変わってくる人物なだけに、最後に疑問を感じてしまった。(H.K.)
* 主人公がある時期育った場所として「北九州市小倉北区馬借」という地名が出てくるが、これは実際の地名(郵便番号802-0077)で、小倉城下町の町名に由来するそうであるから、生々しい。先月、唐津の元九大生(19歳)が両親をナイフで殺害した裁判で、佐賀地裁は懲役24年の判決を言い渡した。事件の背景には、「毒親」による教育虐待への報復があった。小説の内容も現実の事件も等しく絶句するほどのものであった。一連の事柄が、虐待を積み重ねた「自然」からの報復であると、最近のKeysの本に繋がる確信とも言える想いを抱いた。 (M. Y.)

479 /8/23/『デジタル・ファシズム』/堤 未果/休会/勝野真紀子
 (幹事より)前々から手に取ることを何かしら自分の中で躊躇っていた本であったが、前回「本心」(平野啓一郎著)にインスパイアされ、聞こえの良い「デジタル化」へ猛進している世の中とは一体何なのか?その側面でも知れたらと思い選びました。
 文部科学省が公式ウェブサイトに2050年までの実現目標として公開している「ムーンショット計画」や内閣府が掲げる「ソサエティ5.0」
 政府のHPを見ても何のことだかさっぱり、、、そこでイラスト化された人類のモデルには今こうして日常を暮らしている感情を伴った我々の姿が見えず不思議なくらい共感を持てない。コロナ禍を経て、身の回りでも本当にいろんなことが一気に変わっていった。まさにデジタルの蔓延、当然人間同士のあるべき「摩擦」を「面倒だ」と考える社会が一番来てはいけない「教育の現場」にも既に到来しているのを感じる。国家や政治、経済やGAFAを含めて、強大なシステムが最早個人の理解と行動をはるかに超えてしまった世界に違和感ばかり唱えていても仕方がないが、「我々は人間、太古の昔からヒトである」という実感を我々が持ち続けることがこの「巨大システム」へのささやかな反抗にならないかと考えている。
* 政府の「ソサエティ5.0」政策の中、パンデミックで日本の技術力やデジタル環境の脆弱性を嫌と言うほど思い知らされた。今やデジタル化(DX)、技術革新を進めていくのはやめられない。一方で、裏にある資本家やGAFAなどの投資の流れ、中国が進める監視社会の罠など客観状況を認識しておくことは重要。個人情報のダダ漏れや教育での個人評価の積み上げは決して許してはいけない。それこそ政府や投資家を監視できる目が必要。現在、「タイパ」という言葉をよく耳にする、まさに「モモ」で描かれた時間泥棒に汚染されている昨今。大事なものを見失わないよう教えてくれた一冊だった。(N.N.)
* 世界中の政治、経済、金融、教育等々の隅々まで深く浸透してきている「デジタル・ファシズム」の詳細を掘り起こしている本書には敬意を惜しまないが、人間がこの先歩める解決の道が、著者の「和光小学校」的な方法しか提示できないとしたら無念である。産業革命を境に工業化の道をまっしぐらに進んで今日の’EdTech’があり、それは人類滅亡の必然的な姿であろう。BBC放送の「グリーンプラネット」などを観ても、植物には極悪な環境をもサバイバルしてゆく知恵と能力が備わっているのに対して、「進歩」の名の下に自然を捨てていった人類の当然の帰結のように思えるのである。 (M. Y.)
* 「だが本当にそうだろうか」「思い出してほしい」と、本書の中で筆者は何度も問いかける。デジタルのおかげで、遠隔で人と会って話すことができ、好きな音楽や映画を好きな時に楽しみ、欲しい物がクリック1つで手に入る世界から、もう我々は元に戻れないのに。知らされてなかったデジタル化政策の指摘は参考になったが、デジタルが諸悪の根源のような思考には同意しかねるし、「手間ひまかける」ことの素晴らしさとかで解決できる話ではない気がする。デジタル社会は決して平等ではなく万能でもないこと、便利さを提供しているのが私企業である構造を忘れてはならない。その上で、問題の本質は結局、個々の人間にかかってくることを学んだ1冊だった。(H.K.)

478 29/7/23/『本心』/平野啓一郎/サケサカナ太郎坊/千葉敦子
(幹事より) VF、仮想空間、自由死等々、今の私たちにはリアリティーを感じえないものですが、それが普通に受け入れられる世の中が果たしてやってくるのでしょうか?不安を語りつつ、生の水ナスの美味しさを肴に楽しいひとときを過ごしました。
* 私は人生の折々の決断の時には、「死ぬ時に後悔するかしないか」を選択の基準としてきたので、「あの時、もし跳べたなら」という悔いは無く、「死の一瞬前」をあるがままに受け入れることができるのではと期待している。残るは、「最愛の人の他者性と向き合う誠実さ、優しさ」をテーマに、残された人生を全うできるかどうかだろう。 (M. Y.)
* まさに巧妙な時代設定。20年後に起きていること、A Iの凌駕、超高齢社会(そこに「自由死」というショッキングな選択肢)、格差や分断、人工授精(生まれた子どもの悩み)など、今私が不安を感じている問題を具体的に炙り出してくれている。(そう遠くないから恐ろしい) 登場人物たちの日々の生活の中で感じる繊細な感情の浮き沈みを、実に丁寧に表現できてしまう平野啓一郎の感情の豊かさと語彙の力は圧巻でした。そして私が救われたのは、主人公など苦しんでいる青年たちの再生、これから生きようとする力を描いてくれたことに感謝。私も若い子どもたちの生きる力を信じるのみ。(N. N.)
* 近い将来こういう世の中が本当に現実となっていくのであろうか、、、ヘッドセットを装着すれば、時間や空間をも越えた「死後さえも消滅しない」未来を誰もが手に入れられる世界。近未来の仮想社会を想像することは容易ではないが、背景には「死の自己決定」や「貧困による格差社会」といった現実社会で直面している様々な問題を容赦なく突きつけられており、あくまでも現在と地続きな世界にある近未来であることは確かかもしれない。「分人」という著者の観点から読めば、関わっていく人々の変化に伴い主人公の中で占めていく分人に変化が生じていくことが一筋の光というか、やはり生身の人間との関わりの中で未来をどう切り開いていくか、、、そんなことを考えさせられた一冊でした。(M. K.)
* あらゆる想定が「仮想現実」として可能になる時代にあって、表題にある「本心」とはどういうことかを考えました。自分でこれが自分の本心だと思っていたことも、強制的な刷り込みではないか。他者との関係に依存したかもしれない。状況が変われば心も変わるのではないだろうか。全くもって「本心」は影響を受けやすく不確かなものだけれど、その心が決める「自由死」について同意できたら、「最愛の人の他者性」を受け入れたことになるのかなと思いました。(H.K.)

477  24/6/23 /『愛するよりも愛されたい 令和言葉・奈良弁で訳した万葉集』/ 佐々木良/ 一 はじめ/ 中島久代
(幹事より)
しばらく音沙汰がないと病気されたのでは、と気にかかります。対馬の穴子を肴に、そういう年代にkeysのメンバーがなったことを実感した会でした。
* 4,500以上の歌の一部ではあるが、全て感情表現がストレートでとてもわかりやすい。自らの恋しいレベルを「死」に例える歌が多いのに艶歌の原形を見るようである。また、当時の生活感が生々しく伝わる歌が多く、覗き見をしているような気持ちにさせるのは、現代語訳のおかげかしら。(N. N.)
* いくら「意訳」と言えども、「恋ふること 慰めかねて 出でて行けば 山を川をも 知らず来にけり」を「え? ここどこ?」はないでしょう。わたしだったら「恋心治まりかねてふらふらと野越え山越え妹(いも)は何処(いずこ)に」とでも。(M. Y.)
* 「あをによし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり」は、小野老が遠い赴任先、地の果てとも思えた太宰府から奈良に戻り、ますます栄え賑やかで、行き交う人々も幸せそうで、この世の栄華を極める奈良の都へ、その地にいた誇りと今いる太宰府の侘しさと、一瞬の内に去来するないまぜの想いを読んだと思っていました。「アツい!」ではちょっと残念かな、と。万葉集という我がネイションが誇ることばの文化が、私には読めない原文より遥か遠くに去った感です。しかし他方で、スコットランド詩人ロバート・バーンズのキルマーノック版作品集を佐賀弁で全訳された翻訳者の執念の遊び心に似たものも感じました。(H. N.)
* 現代の若者が使っているという”w”や”#”の意味を今ひとつ理解していないことを差し引いても、やはり腑に落ちないまま読み終わりました。たとえ恋の歌であろうと、韻を踏んだり美しい枕詞や比喩を盛り込むことを通して、己の表現力を見せつけたいという知的欲が万葉歌人たちにはあったと想像します。この現代語訳にはそれが感じられませんでした。ただ、まろやかな関西弁の奈良弁はいいなと思いました。(H.K.)

476  21/5/23 /『銀河鉄道の父』/ 門井慶喜 /喜友/ 中竹尚子
* 今回「父」というフィルターを通しながら語られる「賢治」と家族の物語。妹「トシ」とのエピソードや没後その作品が認知された不遇の作家、という正直これまで私が抱いていた「賢治」像とは、はるかにかけ離れていて意外でもあったが、物語の随所に「賢治」という人物の片鱗が散りばめられており、最後まで興味が絶えなかった。Keysでも話題にあがった石集めに没頭する賢治「石っこ賢さん」の章、なるほど花巻の自然こそが彼の瑞々しい言語感覚と想像力を磨き、自然との交感を彼独特の表現によって後世に残すことになったのかも、、、なんて想像するのも実に楽しかった。(M.K.)
* 父親として、子への揺れ動く心情、看病時の溢れる愛情、進学を進めてしまう知性や教養への憧れ、これらは当時の財を成して家族を養うことを一義とする世間的な父親像との葛藤でもあった。その葛藤の先に、賢治やトシは類稀な才能を開花できた。(トシが長く生きていればと惜しまれます。)短命であったが宮沢賢治は、北上川の豊富な自然(石)や小学校の八木先生との出会い、妹トシと一緒に過ごした日々など、子供の頃に思う存分できたからこそ、童話や詩を後世に残すことができたのでは。と、親稼業は面白いと感じさせてくれました♪♪ (N.N.)
* 「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。」これは宮沢賢治が書いた「注文の多い料理店」の序文で忘れられない一文だ。いつもの見なれた景色でも、賢治にはまるで宝石のように光って見え、その色や輝きを書かずにはいられなかった。賢治自身がもっている精霊のような純粋さと宗教的な背景が重なりながら賢治の詩や童話が生まれたのだと思う。そして、それらがきちんとした作品として世に出ることができたのは、粘り強く支援した父の存在が大きかったことをこの作品で知ることができた。(H.K.)
* Keysランチ会では「石っこ賢さん」を話題にして、子供時代の自然との触れ合いの中での「天然の想像力」が、やがて「ことばの人造宝石を作り上げ、賢治は詩人として、いや人間として、遺憾なき自立を果たした」ことを語り合ったが、一般の人間にとって、大人になるということはこの「天然の想像力」を失うことであるということを忘れまい。銀河鉄道の父親がわれわれに代わって、それを失う葛藤を見事に演じてくれたと思う。(M. Y.)

475 23/4/23/『芽むしり仔撃ち』/大江健三郎/Zoom/金城博子
* 大江健三郎氏二十代の作品とのこと。なんと冷徹で客観的な描写。心深くに突き刺さる不快感。場面は戦時中だが現代社会の人間性に潜むものが描かれている。感化院の子どもたち、疫病、朝鮮人、脱走軍人に対する恐ろしいほどの村人たちの閉鎖性、虐待、暴力。僕や弟、李、女の子に芽生える人間性に対する救いを悉く打ち砕いて小説は終わる。この小説は決して映像で観たくない。しかし、感性をより鋭敏にしなければ、このような惨状に加担してしまう可能性があるという恐怖も私は感じた。(N.N.)
* 読み始めた途端に懐かしい文体の香りが漂ってきた。今回の本は1958年に書かれているが、大学入学時(60年)の安保闘争から3年後の『性的人間』、その後長く続いた大学紛争時の『万延元年のフットボール』(67年)等々、大江は、政治的人間と性的人間の在り方を絶えず突き付ける存在であった。男女を問わず、その性器を「セクス」と表現し、人間が呼吸することと同次元に配置する発想は、その後の軟弱な小説群とは一線を画すものであることが、あらためて新鮮であった。(M.Y.)
* 極限状態におかれたら、人間は助け合うことではなく、排除し合うことを選んでしまうのか。感染症と閉鎖された村社会の中で、感化院の少年たち、脱走兵、村の大人たち、それぞれが見せる狡さや醜さは、異常な時代を生き抜くための術か。見捨てる者と見捨てられる者の立場が逆転すれば、人間は同じことをするのか。怒りと恐怖がもたらす緊張した場面が多かったが、つかの間の自由と幼い愛の目覚めの場面は美しく清らかで、大江文学の偉大さを感じた。(H.K.)

474/18/3/23/『私の恋人』/上田岳弘/月のしずく天神大丸店/末信みゆき
* 作家の世界観の大きさに圧倒されます。面白かったのは、二周目のイデオロギー間(アメリカとドイツ)の闘争、その終焉がユダヤ人収容所や日本への原爆投下。そして三周目、人類を凌駕する「彼ら(人口知能)」の出現。でも、その前に我々が突きつけられている現実、ロシアによる領土侵攻がある。闘う対象は誰にもわからないが、抗うべき時には抗わないといけない。そのように突きつけられた作品でした。(N. N.)
* クロマニョン人まで遡って人類の祖先の知性がどのようであったのかということは想像も及ばないが、私が目撃した中で最も古いアイルランドの先史時代の遺跡「ニューグレンジ」(紀元前3100年から紀元前2900年の間に建設)、「1年で最も日が短い冬至の明け方、太陽光が長い羨道に真っ直ぐ入射し、部屋の床を短時間だけ照らすように建設されている」、その数学的知性と言い、下って、古代エジプトのツタンカーメンと黄金のマスク(紀元前1341年頃 – 紀元前1323年頃)、イングランドのストーンヘンジ(紀元前2500年から紀元前2000年)等々、古代人の知能の高さには驚嘆するばかりである。いや、身近にもある。王墓など弥生時代(紀元前9、8世紀から紀元後3世紀ごろ)の遺跡が発掘されて展示されている「やよいの風公園」が毎日の犬との散歩コースであるが、人間より1,000倍〜10,000倍優れていると言われる犬の嗅覚、聴覚は、人間がその合理主義から失っていった本能的能力をクロマニョン人時代のまま持ち続けているという証拠であろう。滅亡の予言の中に救済の光を見出せない中、せめてそばにいる犬に寄り添って、少しでも原始の想像力を取り戻したいという気持ちであった。(M. Y.)

473/25/2/23/『ライオンのおやつ』/小川糸/米と葡萄 信玄/渡邊稔子
* 雫がレモン島に来て一月超の短い間、様々な出会いにより死と生に向き合い、揺れながら強くなっていく様が心に沁みました。死に際はマドンナのような方にそばにいてほしいですね。日曜日午後三時のおやつ、自分は何を求めるのか考えてしまいました。(N. N.)
* それまで生きてきた日々を振り返り、穏やかに日々を過ごす。最期の時を考えるのは、つまり今をどう生きるかなのでしょう。レモン島に行けなくても、自分にとってのライオンの家を見つけたいと思いました。最期のおやつは、ぜんざいをリクエストします。ことこと小豆の煮えるにおいが、幼い頃の大きな幸せでした。(T. W.)
* 私の生涯で最後に食べたいおやつは「ぐすぐす焼き」。小麦粉を水と砂糖で練って、生卵を1つ割り入れ、卵焼器で転がしただけの、素朴なおやつ。精神的に弱かった母が調子のいい時、しかも飼っている鶏が卵を産んだ時に作ってくれた。「ぐすぐす焼き」は滅多になかった母のゆとりのある笑顔に繋がっている。(H.N.)
* テレビドラマの舞台は別の場所だったようですが、最近カクテルに凝っていて、「瀬戸内海の西方、穏やかな自然に育まれた希望の島『中島』」産のライムを取り寄せて遊んでいることから、作品の舞台をその島と想像して読みました。主人公がタヒチ君を訪ねた最初の方の場面で、六花と一緒にごろんと横になって葡萄畑の向こうの海を眺めている。「どこからか、爽やかな柑橘の香りもする。」「目を閉じると、そよ風が、私に毛布をかけるような優しさで吹いてくる。」このような美しい文章で全編が紡がれていて、生命の尊さを慈しむ作者の眼差しに打たれました。(私の「最後に食べたいおやつ」は「バナナ」。昭和23年、重い病気で小学1年間を全休した私は、当時はとても高価で手に入らないようなバナナを、「精がつく」からと親が買ってきてくれて、以来今日まで、「バナナ」こそ最高の果物になっています。)(M. Y.)
* 読んことがある本を再読すると、前回とは違う思いになることはよく経験します。前回は、読みながら緩和ケアで見送った母の姿がよみがえりました。今回は、1人ひとりのおやつの描写をじっくり楽しむことができました。そして私なら何にするかなと今から考えています。(H.K.)

472/21/1/23/『あちらにいる鬼』/井上荒野/暖(はる)/勝野真紀子
  久しぶりのリアルKeysならではの会話の醍醐味、嬉しい時間でした。
* 目の前のぶらぶらするものを眺めながら、髪を落とす前の最後の洗髪をしてもらうという場面には感動しました。この一節があるだけで、この作品は見事であったと評価したいと思います。(MY)
* じわりじわり真綿でがんじがらめにされているようで、ともすると、息苦しささえ感じてしまう昨今。人間はどうしようもなく不完全な生き物だという思いが年々増してくるのは何故だろう。人間は完璧になんてなれやしないのだ。そう思えばこそ、合わせ鏡のような「みはる」と「笙子」のどうしようもなくやりきれない情念、業の深さ、、、を作者のやわらかな文章の奥に感じたとき、倫理観云々ではない静かな読後感が印象的でした。(MK)
* 小説家は、命を削りながら書いているのだと感じました。読む前は、さぞ男と女のドロドロを描いているものと思っていました。実際は、篤郎とみはる、笙子の共通した意識、プライドの根拠である、小説、また自分自身に対する誠実さでした。(NN)
* ともすれば、スキャンダルにまみれた存在、出家しても切れない腐れ縁、腐れ縁を静かに受け入れた妻たるものの鏡、と受け取られかねない、みはると白木、白木と笙子の3人の関係を、作者はままならない時はあったとしても、この世に出会う定めの人、愛する定めの異性はいる、ということを人生の幸運として感謝する、テーマに仕立てている、と思いました。この視点は、作家として至った3人の関係への理解なのか、当事者たちの家族としての鎮魂なのか、その真意も知りたいとも思いました。(HN)
* 寂聴さんは「書いていいですよ。何でも喋るから!」と言ってくれたのだと、著者井上荒野さんのインタビュー記事を読んで、合点がいきました。本は二人の女性の視点で描かれていましたが、瀬戸内寂聴から聞いて描いた「みはる」よりも、亡くなってこの世にいない母を思い描いた「笙子」の感情の方が真に迫ってくると感じたからです。事実以上の真実があぶり出された小説だったと思いました。(HK)

2018年度読書会記録

2018年度
回 /開催日 /本 /著者 /店 /幹事
423/1/12/18/日日是好日/森下典子 /大阪屋 /千葉敦子
茶道への興味関心は高まれど、もう手遅れか・・・。年齢を重ねることに期待もあれば、不安も募るけれど、それこそ極意は「日日是好日」。
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422/ /11/18/休会
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421/20/10/18/散り椿/葉室 麟/蓮/山中光義 
来年3月には二人のメンバーが退職されるという。長い間素晴らしい仕事をなさってきたお二人が、第二の人生をどのように歩まれるか、新たなる夢を語っていただく場を用意しなくてはならない。その前に、お一人の還暦祝いを!
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420/29/9/18/蜩ノ記/葉室 麟/海木/山中光義
樹木希林追悼会。彼女の生き様を通して、老いゆく各人がこれからをどう生きるか、真面目に語り合う。「潔い生き方とは何か」ーそれはまた、この作品のテーマでもあった。
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419/25/8/18/あの家に暮らす四人の女/三浦しをん/鮨 水魚/渡邊稔子
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418/28/7/18/羊と鋼の森/宮下奈都/休会/渡邊稔子
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417/30/6/18/限界集落株式会社/黒野伸一/木の芽/関 好孝
初めてのお店でしたが、料理が素敵で話も弾みました。 先生のご体調を心配しながらも、酒量は減ることはありませんでした。 帰りにあまりの安さに参加者に返金しようとしていたら、店主から間違えてました!の声。  そうでしょう、 そうでしょう、 十分美味しく頂きましたよ。
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416/26/5/18/人口減少と鉄道/石井幸隆/休会/山中光義
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415/28/4/18/神々の乱心 (上) /松本清張/目利きのたか志/中島久代
清張再読の掛け声で遺作に挑戦、日本の植民地政策の闇と戦後の新興宗教が直結した、清張らしいスケールの殺人事件。錦織圭選手の好物「のどぐろ」を堪能しつつ、とっこちゃんにエールも。
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41431/3/18/西郷札/松本清張/目利きのたか志/山中光義
出席者の一人Nさんが、県の世界文化遺産(「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群)の管理担当責任者になられたことを大変嬉しく思う。歴史を知ることの大切さを改めて考えさせ、清張再読の機運を高める一夜ともなった。
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413 /24/2/18/その犬の歩むところ/ボストン・テラン/遊食豚彩いちにぃさん/千葉敦子
でっかい西郷どんを育てた鹿児島豚をいただきながら、2時間と終わりが決められ、何となく急かされた感じで、雄大な鹿児島を味わうというわけにはいきませんでした。久しぶりに5名が集まりました。感謝です。  
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412/20/1/18/夜想曲集  音楽と夕暮れをめぐる五つの物語/カズオ イシグロ/天ぷら  新宿つな八/中島久代
2018年新年の会は、抱負の披露に替えて、近況・健康報告と心の健康維持のアドバイス交換となりました。帰りには、抱負を実践すべし、との天の声が届きそうなアクシデント付きでした。

 

 

2019年度読書会記録

2019年度					
回/開催日/本/著者/店/幹事
435/28/12/19/愛の流刑地(上下)/渡辺淳一/目利きのたか志/中島久代

錦織圭が故郷の味と言う、深海魚のどぐろ。目利きのたか志の塩焼は絶品。のどぐろをつつきながら、3人それぞれ節目だった今年を語りました。
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434/23/11/19/海の見える理髪店/荻原 浩/新天玉吉/末信みゆき


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433/ /10/19/キラキラ共和国/小川 糸	/勝野真紀子
休会
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432/28/9/19/ツバキ文具店/小川 糸/和風ダイニング彪夢(コム)/千葉敦子

日本の劇的勝利の興奮冷めやらぬまま集まった女子4人、ラグビー談議に花を咲かせつつ、楽しいお酒をいただきました。
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431/31/8/19/国宝(上)/吉田修一/千葉敦子
休会
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430/28/7/19/サイレントブレス/看取りのカルテ/南杏子/恵の(南阿蘇)/渡邊稔子

"パワーを求めて、パワースポットを訪ねるには、パワー(体力)が必要という皮肉な現実。満天の星空には流れ星がひとつ。リタイアしたら、健康で旅を楽しめますようにと、次は願いを唱えよう。
 震災の爪痕の残る阿蘇の地で、ふたりの時間は、穏やかに流れていました。"
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429/29/6/19/ここに地終わり海始まる(上)/宮本 輝/燈明(あかり)/関 

ギリギリ3人の会。広いお店に3人で、ゆったりまったり。マイヒストリーに話が及び、人生の摩訶不思議をお酒とともに飲み込んだ会でした。
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428/25/5/19/私とは何かー「個人」から「分人」へ/平野啓一郎/炭焼きスペイン料理 Aire(アイレ)/山中光義

スペイン料理とシェリー酒と、Sさんのイギリスとポルトガルの土産話で満腹。Google Mapの日本語表記で、外国での独り歩きに不自由無いとは驚きのご報告。
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427/27/4/19/最後の恋 Men’s/伊坂幸太郎、他6人/蓮/中島久代

参加者が語った「私の平成」は、チャレンジし、切り開き、未知との出会いを求め、家族の心配は絶えず、もっと頑張れたかなと思いつつも、とっても濃密な、すなわち、幸なる時代でした。次なる令和には、平成の終わりに実感した自分の体を労わることと、物を整理することに、楽しい模索が始まりそうです。
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426/30/3/19/でっちあげ/福田ますみ/かざぐるま/中竹尚子

"思いもかけない山道での満開の桜との出会い。犬の散歩という日常の中で、地域にある貴重な遺跡に気付き、人はそこから古代に遡って様々なロマンを想像する。楽しみは日常の中にこそあり、それを気付かせてくれるのは、自分自身の想像力とそれを語れる仲間の存在が大きいのかもしれません。"	
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425/23/2/19/最後の恋―つまり、自分史上最高の恋/阿川佐和子、他/寅寅寅/勝野真紀子

"2:3の絶妙な男女比で繰り広げられた「最後の恋」論。ときめくことを久しく忘れていたことを再認識させられた我々であったが、過ぎし日の思い出となると、どれも驚くほど鮮やかに思い出されるのは何故だろう。心のひだに深く深く刻まれた最高の恋とは?
 ざわざわと思わぬ方向へ感情が動き出すあの瞬間、幸福感やもどかしさでいっぱいになる日々、、、、想像の翼だけは自由に大きく広げておきたいものです。"
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424/26/1/19/コンビニ人間/村田沙耶香/梅の花天神店/末信みゆき
					

2020年度読書会記録

2020年度

回/開催日/本/著者/店/幹事

447/27/12/20/『鹿の王 (上)―生き残った者―』/上橋菜穂子/zoomミーティング	金城博子

 オンライン会で福岡、阿蘇そして東京とでつながることができたのもコロナ禍ゆえのこと。師走なので参加者それぞれの一年を振り返る、コロナでできたこと、或いはできなかったことと。それぞれが「よく生き残った」と乾杯する。
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446/29/11/20 /ペスト/ダニエル・デフォー 著/平井正穂訳/オンラインKeysハイ・ティー/中島久代

Keys始まって以来初の試み、日曜日の午後、リモートのハイ・ティー形式には5人が参加。話題は、そう遠くない、メンバー全員が元気で自由を謳歌する第二の人生での、Keysの旅に集中しました。お酒があってもなくても全く変わらぬ賑やかさ、皆が元気でした。
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445/24/10/20/青くて痛くて脆い/住野よる/鮨水魚/渡邊稔子

「人に不用意に近づきすぎないこと」そんな文で始まるこの本を選び、コロナ禍のなか、keysを対面で決行。同じ空間で顔を合わせ、同じものを食し、本とお酒について語り合う、久しぶりの心踊る夜でした。リモートもよし、時には休会もあり、keysは変化し続けていくでしょう。
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444/ /9/20/水神(上)/帚木蓬生/中竹尚子

本の紹介のみのkeysは初めてかしら? 読書会を続けるにはこの形も悪くはない。ただ、集まらないと決めると皆さんに会いたい、話をしたい気持ちの方が募ります。今は、未体験の感染症と向き合い、しなやかに読書会として続けることを大事にしたいものです。
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443/29/8/20/本日は、お日柄もよく/原田マハ/オンラインKEYS/末信みゆき

 福岡、東京、熊本を結んでのオンライン会。久々の再会で大いに盛り上がる。繋がれるうれしさ、楽しさ。やはり創設メンバーは強力だ(笑)。keysにはいろんな形があっていい。コロナ禍が終わっても時々やりましょう!
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442/23/7/20/キネマの神様/原田マハ/末信みゆき
コロナ休会
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441/27/6/20/線は、僕を描く/砥上裕将/梅の花 天神店/千葉敦子

新型コロナウィルスの目に見えない脅威を心配しつつ、4名が集まりました。仕方がないことと分かってはいるものの、あれもこれも中止、中止で残念な思いばかりの今日この頃。いつになったら、心おきなく集まったり、劇場に足を運んだりできるのか。願う気持ちは一つなれど・・・今は辛抱!!
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440/23/5/20/罪の声/塩田武士/オンラインKEYS/千葉敦子

新型コロナウィルスの影響で集まれず、初めてのオンラインKeysとなりました。8人のメンバーそれぞれが思い思いのお酒とおつまみを用意して、普段着の様子が垣間見える、想像以上に楽しい飲み会でした。新しい形で集まれる喜びと、それでもやはり直接会って語り合える日が早く来てほしいという願いとを感じる一時となりました。
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439/25/4/20/心の傷を癒すということ/安克昌/千葉敦子
コロナ休会
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438/28/3/20/レインツリーの国/有川 浩/酒と飯トキシラズ/勝野真紀子

クラスター、オーバーシュート、ロックダウン…と聞き慣れない言葉が日常に飛び交う世の中の何と不安で恐ろしいことか。「当たり前」と信じてきた日常が実は非日常とこんなにも隣り合わせだったと思い知る。そんな中開催したKeysでしたが、10年振りの再登場Tさんを交え大いに楽しい夜でした。当たり前に季節を感じたり、当たり前に人と同じ時を共有したり、そんなささやかな楽しみすらままならぬ鬱々とした日々が一日も早く収束することを祈るばかりです。
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437/29/2/20/夏物語/川上未映子/渡邊稔子
新型コロナウィルス拡大のことから、急遽休会を決定。
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436/25/1/20/のぼうの城(上)和田 竜/目利きのたか志/山中光義
 でくのぼう→のぼう/Don't sleep through life!(「ぼーと生きてんじゃねえよ!」チコちゃんの名言英訳)→ 'Sleep through life!'(幹事の今年の抱負) いずれ劣らぬ名言、名訳。

2021年度読書会記録

2021年度

回/開催日/本/著者/店/幹事
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459/ /12/21/月夜の森の梟/小池真理子/コロナ禍休会/勝野真紀子

"伴侶を亡くした深い悲しみのあまり小池真理子さんが死んでしまうのではないかと…。長い年月を共に過ごし、ささやかなことから大イベントまで、たくさんの思い出に満ちあふれていて、夫婦とはこういうものなんだろうな、と想像してみることができました。(T.W) 深い喪失の思いを一緒に感じているような不思議な感覚で読んでいました。散文でありながら詩のようでした。突き刺さる言葉も、「老年期の落ち着きはたぶんほとんどの場合、見せかけのものに過ぎず、たいていの人は心の中で思春期だった時と変わらぬ、どうにもしがたい感受性と日々闘って生きている」そうかもしれません。私たち夫婦の行く末も思い描きながら読みました。(N. N) 先代犬を亡くした時と完全に重ねました。日常生活でふとしたはずみで涙をこぼさなくなるまで3年、病気に早く気付けなかった後悔で自分を責めなくなるまで7年、長い長い時間がかかりました。小池真理子氏の心が癒えるのはまだまだ先だろうと彼女のこれからを思いやった次第です。ですが彼女はすでに自分を律する手段を持っていると思いました。各エッセイの結びでは周囲の自然の営みに目を向け、人もその自然の一隅にあることを自ら語っていると思いました。(H.N) 「悲しい」とか「辛い」という言葉を使わずに喪失感を表現するというのはこういうことか……と、しみじみ読みながら何度も鼻の奥がジンと熱くなりました。愛し愛された日々の記憶、慟哭にも似た真っ直ぐな感情、計り知れない彼女の悲しみの叫びが綴られた各章を読み終える時、決して後戻りしない季節の移ろいが描かれており、それがまた不思議なほどの余韻をもたらしてくれました。(M.K)"
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458/27/11/21/起き姫 口入れ屋の女/杉本章子/蓮/中島久代

1. 起き上がり小法師がモチーフで、何があっても起きあがろうとする気概、自分らしく誇りを持つこと、それが生きるということなのだと。(N. N.)
2. 江戸の暮らし、なりわい、言葉が人情豊に描かれ、口入れ屋に関わるすべての人がつながってハッピーエンド。季節の移ろいが今よりもっと肌身に近く、男女や生き死にが今よりおおらかだったように感じます。(H.K.)
3. 起き姫口入れ屋の女、とてもいい本でした、他の作品も読みたくなりました。(Y.S.)
4. 「浮き名もうけ」という粋な言葉を覚えました。(M.Y.)
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457/ /10/21/紫式部ひとり語り/山本淳子/コロナ禍休会/金城博子

 「「世」、「身」、「心」をめぐるフィクションとしての物語にこそ、時代を越えたリアリティがあるという『源氏物語』の作者の自信は流石であるし、優れた文学論になっていることに感銘を受けました。と同時に、『紫式部日記』などを通しての率直な肉声にも感心しました。」( MY)
 「源氏物語を通した紫式部だけでなく、当時の歴史的な背景が丁寧に描かれており、一条天皇や中宮彰子、藤原道長なども含めて、生活の匂いのする身近な存在に感じることができました。一条天皇をめぐる女性たちの才気溢れる顔ぶれに、圧倒されますね。」(NN)
 「これが『源氏物語』の作者紫式部の「打ち明け話」(著者曰く)だとすると、雅なだけではない平安の女たちのリアリティと、彼女たちが現代人より心が自由なのは生きるためであったと感じました。」(KH)
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456/ /9/21/モモ/ミヒャエル・エンデ/大島かおり訳/コロナ禍休会/中竹尚子

「生きるということ」この思い題材を、児童小説の抽象化された世界で描き、はっきり答えが用意されていないので、何度読んでも、心のどこかで気になってしまいます。それぞれの体験も様々なので、読んで得られるものもそれぞれだと思います。モモは人の話をよく聞いてくれます。感じてくれます。大事ですね😊
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455/ /8/21/おひとりさまの老後/上野千鶴子/コロナ禍休会/中島久代

 (N.Nさんの読後感):還暦を迎え、自分の老後を考え始めた私は、本書では第二章、第三章あたりを漠然と考えている程度ですが、いずれは一人という思いは、なぜか若い頃からありました。子どもを育てていても、現代社会は仕事で住むところが決められるので、同居は無理です。上野千鶴子さんは14年前にこの本を出版しているので、五十代であれだけの老後の知識と知恵を持って紹介しているのですかね。びっくりです。介護の章はちょっとショックでした。親の介護は経験していても、自分がそのような状況になることを考えたくない。拒否する自分がいるのに気付かされました。まだまだこれからいろんな覚悟が必要になるのでしょう。今後の自分を考える第一歩の貴重な本になりました。
 (H.Nさんの読後感):子どもがいない私は、早くから「いつかは一人」を覚悟しているつもりでしたが、介護される身になるところまでは、親たちの経験を経ても、実感が伴っていませんでした。体力と気力の低下を実感している今、「介護は遠からず、現実的になれ」と目が覚めた気持ちでした。
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454/31/7/21/華氏451度〔新訳版〕/レイ・ブラッドベリ (著), 伊藤典夫 (翻訳)/蓮(ランチKeys)/山中光義

(M.Kさんの読後感):「最初の語り口から近未来的なSF小説なんだろう、と思いつつ読み進めていったのですが、そこに描かれていた世界は我々が生きる現実世界かと見まがうほど!!!朝から晩までさまざまなSNSに囲われ、メディアから流れてくる膨大な情報にどっぷり漬かり、受け売りの情報の波の中で真実とは何かを自ら考え問い続けることをしなくなった現代人の姿が恐ろしいほどぴったりと重なってきます。あらゆることがスピードを求められ、効率が重視される社会、多様性を謳いながらどこかしら窮屈になっていく世界。。。「本を焼き払う」という衝撃的な行為で描かれた世界は、今、現にこうして巨大な情報システムの中で日々の生活を享受している私たちへの痛烈なメッセージのような気がしてなりませんでした。」
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453/26/6/21/おもかげ/浅田次郎/コロナ禍休会/渡邊稔子
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452/ /5/21/そしてバトンは渡された/瀬尾まいこ/コロナ禍休会/末信みゆき
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451/24/4/21/その名にちなんで/ジュンパ・ラヒリ/コロナ禍休会/千葉敦子

文字を拡大して読めない恨めしさを抱きながらの読了でしたが、まるで細密画を観るような描写の連続でした。ロードアイランド(州)、プロヴィデンス(州都)は60年近く前に住んでいたところで、近隣のボストンにはしょっちゅう出かけ、時折ニューヨークにも足を伸ばし、ヴァーモント州にも知人を訪ね、そして何よりブラウン大学は自分が在籍していた大学で、夕食を済ませてから席をキープしていた図書館に戻るという話、異文化体験の葛藤, etc. etc.、遠い過去に思いを馳せるsentimental journeyとなりました。(M.Y)
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450/27/3/21/田辺聖子の古事記/田辺聖子/コロナ禍休会/勝野真紀子

 ある時は非情なくらい残酷に殺し合い、またある時は溢れ出る感情のまま踊り笑い、そして時にはタブーの愛も乗り越えようと愛の讃歌を高らかと詠う。そんな「古事記」の神々たちのおおらかで生命力あふれる様は、 今、歯痒くも息苦しい日々を送らざるを得ない我々に一陣の風を届けてくれたのではないでしょうか。また「古事記」から感じられる力強さの元をたどれば、一語一語に込められた 伝承の力であり、それはまさしくバラッドにも通ずるものですね。
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449/ /2/21/アフガニスタンの診療所から/中村 哲/コロナ禍休会/中竹尚子

 「近代文明の野蛮」という言葉が突き刺さる内容でした。「第20回アジア貢献賞」を受賞された松本敏秀さんはミャンマーでの歯科活動の際、「ミャンマー人の問題はミャンマー人で解決する」という信念を堅持されていたそうです。福岡県輩出の優れた活動家は中村哲さんだけではなかったです。
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448/ /1/21/小説伊勢物語 業平/髙樹のぶ子/コロナ禍休会/山中光義

 寄せられた読後感:「伊勢物語は古典の教科書ではお馴染みでありましたが、雅な光景と人としての魅力を存分に堪能できる小説であったと、今更分かり深く感動しております。業平の魅力は、様々な女性の情感を悉く汲み取る感性を持ちながら、なおそのための努力を惜しまず、時には報われなくて悩む様が愛おしいと感じさせるところです。やはり、それは高樹のぶ子の力と思われます。光源氏よりも共感が持てます。」(N.N) /「私は次の箇所:「崩し字の、連綿とした流れは、昨夜の恋に酔うままの業平にとりまして、まるで滑らかな陰(ほと)を思わすほどのやわらかさ。」(「朧月」Kindle の位置No.2609-2611)に衝撃を受けました。原文にこのような表現があるのだろうかと、多少調べてみましたが、わかりません。きっと高木のぶ子の鬼気迫る想像力が生み出した表現だと思います。流石に、谷崎潤一郎賞(『透光の樹』)をとった作家だと思いました。(M.Y)										

2022年度読書会記録

2022年度
回/開催日/本/著者/店/幹事
471/ 20/12/22/『騎士団長殺し』 第一部の(下)及び第二部の(上)、(下)/ 村上春樹 /  山中光義
* 第二部のメタファーは作者の真骨頂、奇想天外の夢の世界です。これまでの経験や思いとの関連からなる道筋、最良のメタファーは最良の詩にもなる。一方、暗闇の部分も洗いざらい受け止めないといけない。暗闇と水の流れ、極端に狭い穴、これらの世界は母親の子宮と産道をイメージしているのではないか。生まれ変わった主人公は、別れた妻とその子どもとの家庭生活を営むことになる。そして、まりえは母親の衣服の中で身を守ることになる。特に終盤は、これでもかというほど母性への賛歌に溢れている。この小説の主題は母性だったのだと、産まれたての孫の世話しながら感じているこの頃です。 (N. N.)
* 2022年10月中竹さん幹事の時の第一部顕れるイデア(上)の時から架空と超現実の物語世界にぐいぐいと引き込まれ、一気に第二部(下)まで読み終わっていました。メインプロットは主人公画家の現実逃避の旅から始まり、別れた妻と向き合うまでの精神的な成長ですが、その過程に散りばめられたあらゆる仕掛け、雨田老人作「騎士団長殺し」という絵画、敷地内の裏山にある石室、そこから顕れたイデア「騎士団長」、謎解きに画家を導いてゆく現実離れして魅力的な免色氏、彼が実子であることを信じるまりえの手に汗握る免色邸探索、地下世界への旅、雨田氏の戦前の秘密の解明、そして4枚の絵画の創作と、現実と非現実の両方の世界に読者を自由に縦横無尽に連れ出す物語技法に圧倒されました。石室の謎と免色氏の正体を知りたかったという未練は残るものの、村上ワールドに心酔する人々の気持ちが垣間見えました。(H. N.)
* プラトン的「イデア」が作者の哲学だろうか? とすれば、「本当にこの世に実在するのはイデアであって、我々が肉体的に感覚する対象や世界とはあくまでイデアの《似像》にすぎない」と考えることになる。これは私が卒論の時に取り上げたテーマに繋がってくる。それとも、若い頃の私がかっこつけて、「虚実の間(あわい)に人生あり」と学生たちに言っていたような人生論なのだろうか。作者はどこまで行っても正体が掴めない作家だと感じる。 (M. Y.)
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470/  /11/22/『ひねくれ一茶 』/ 田辺聖子/  会合無し/ 金城博子
* 江戸の年中行事の火事をめぐって「焼けにけりさしてとがなき藪蚊まで」という作品に感銘を受けましたが、以前朝日カルチャーセンターで江戸川柳の英語翻訳を紹介する講義で、「雀の子・・・」をR. H. Blyth (1898-1964, イギリス出身の日本文化研究者)が ‘Little sparrow, / Mind, mind out of the way, / Mr. Horse is coming.’と訳した見事さに熱弁を振るったことを思い出しました。Blyth先生だったらこの「焼けにけり・・・」をどのように訳すだろうと思いを巡らせたひと時でした。(MY)
* 田辺聖子氏に描かれた一茶の俳諧行脚に明け暮れた生活、人との繋がりを大事にし、率直で朴訥な人柄などしみじみと感じながら読ませていただいています♪♪(NN)
* 有名な句から子どもや動物に優しい眼差し持つ素朴な人物と感じていた一茶の印象が変わる作品でした。才能も自負も野心も人一倍ありながら、信濃者(おしな)だから不器用だからとひねくれ、亡父の遺産を手に入れるまでしぶとく、孫を抱く年になって嬉々として若い嫁を抱くほど愛らしく、現代にも通じる人間らしさを感じました。一つ一つの句の背景を解説ではなく話の中で触れて、連句の仕組みなども多少わかったところが、他の小説とは違うおもしろさだったと思います。(HK)
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469/30 /10/22/『騎士団長殺し 第一部顕れるイデア』(上)/村上春樹/広東料理セッション/中竹尚子
* 「夢」に対する自分の異常な執着が何だか肯定されているようで、安心してどんどん読み進めることが出来た作品でした。(M.Y.)
* 面白いと思えれば、それでいい。アリスも穴に落ちました。ワクワクする、大人の読書にも、それがあっていいと思います。(T.W.)
* 私は作者の暗示、意図を感じ取るのが好きだが、村上春樹の不思議ワールドはどこまでも妄想が膨らむ。主人公は車で一人旅をし、雨田具彦の家で様々な体験をするが、この間、世間では引きこもりのようでも、彼は次々起こる不思議なことを真摯に受け止め、解決に向け「行動」しているのだ。「行動」を起こして次の課題が見えて来る。実はその繰り返しで、本来望む何かを掴んでいく。スカッとした物語でした。(N.N.)
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468/24 /09/22/『女のいない男たち』/村上春樹/会合無し/千葉敦子
* この作家は何故ノーベル賞を取れないのだろうかと思いながら、読み進めました。最後の作品の主人公が「自分がここでいったい何を言おうとしているのか、僕自身にもよくわからない。僕はたぶん事実ではない本質を書こうとしているのだろう。でも事実ではない本質を書くのは、月の裏側で誰かと待ち合わせをするようなものだ。真っ暗で、目印もない。おまけに広すぎる。」と独白する箇所があるが、案外これが解答になるのかも・・・?! (M. Y.)
* 男たちの悲しみや寂寥感が、それぞれの小説でありました。男たちにとっての女は、皆不可思議で囚われてしまう存在感。村上春樹の特徴でしょうか、現実と非現実の間にある不確かさが一層の神秘性を醸し出し、美しささえ感じます。現実世界では、彼女たちとは関わりたくないですが、惹きつけられるのは、男たちに対する作者の共感と愛情が溢れているからと思います。男の神秘ですね。(N.N.)
* 村上春樹はKeysで何度か取り上げられた作家ですが、イマイチ疎遠に感じていました。今回の短編集の「ドライブマイカー」と「木野」が、これが村上ワールドの感触かな、と感じた次第です。自分にも周囲にも心の襞をえぐらず適度な距離を保つ、それがもたらす傷と、そうする必然と、必然の意味を永遠に問い続けている人の性。(H.N.)
* 短編でありながら凝縮された村上春樹の独特の世界観で、女を失った男の心情、女が離れたことで失ったもの、共に過ごした女がもたらしたものが語られる。女の失った男たちの心象風景に出てくるエレベーターに水夫、アンモナイトにシーラカンスとか、唐突に出てくる音楽の話とかを絶妙と感じるか不安に感じるかは読者の好みによるかと思う。自分は後者の方。(H.K.)
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467/28 /08/22/『からゆきさん 異国に売られた少女たち』/森崎和江/海山邸 福鈴 西鉄クルーム店(ランチ会)/中竹尚子
*貧さ故の性をひさぐ職業の、近代史における展開の理由が炙り出されていた。天草の人々の気質まで掘り下げ、人としてのからゆきさんという存在が描き尽くされている。森崎和江さんの人への想い、そのことに感動。(H.N)
*この本は福岡日日新聞からの貴重な引用、証言に基づいている点で深い感銘を受けた。政治や宗教の各方面で隠蔽されている非人間的事実が数多く潜在している昨今、今日の新聞にかつての使命感があるのか。(M.Y)
*現代の感覚からすると凄まじまい女性蔑視だが、その延長線に現代の日本がある。からゆきさんには島原、天草などの少女が多く、その背景に中絶が許されないキリシタン信仰があったとする作者の考察に切なくなる。(H.K)
*明治以降の地元新聞を調べ尽くし、地元に出向き聴き取って描いたのが「からゆきさん」。森崎和江さんがいかに真実を知ることに貪欲であったか。真実を理解するためのエネルギーを惜しむなと。(N.N)
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466/xx/07/22/『田園発 港行き自転車』上巻/宮本 輝/中島久代/コロナ休会
・コロナ禍は終息に向かっていると錯覚していました、7月中旬からの感染急拡大に、残念ながら夜の宴を取りやめました。日常が戻るまで根気比べかと。さて、脇田千春の故郷礼賛の退職スピーチに始まった上巻は、下巻で、夏目佑樹が子どもの頃に賀川真帆に宛てたファンレターという運命的な接点がどのように決着するかを軸に、登場人物たちのそれぞれの今が、全員を脇田千春が礼賛した場所へ、彼女の家へと集合させる、ちょっと驚きの大円団でした。人は生きてゆくために原風景を持つ。私の原風景はもちろん、、、、。(H.N.)
・上巻全部を費やして舞台となる自然を描き、下巻では、その自然に包まれた人々の優しさを細やかに描くという、何とも贅沢な作品であった。タイトルには、いささか奇を衒った不自然さを感じましたが・・・。(M. Y.)
・上巻で謎だった人間関係が、凛とした京都の人々、屈託のない富山の人々、それぞれの思いが自然と富山に向かわせ、そして見事に融和した下巻でした。人は生まれて死ぬ間に、どれほどの縁とか運命とかで一喜一憂するのか、それをゆっくりと俯瞰して見ることができたように思います。(H.K.)
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465/xx/06/22/『田園発 港行き自転車』上巻/宮本 輝中島久代/コロナ休会
・入善漁港、黒部川扇状地、愛本橋という典型的な日本の自然豊かな風景と、彼の地の表象としてのゴッホの『星月夜』という意外な組み合わせ。しかし、これを軸に、賀川直樹と夏目海歩子の秘められた繋がり、父の死の真相を探す賀川真帆と寺尾多美子のサイクリング旅、本心に辿り着くための日吉京介の徒歩の旅、夏目佑樹と脇田千春は人としての美しさでお互いを高め合い、幾つもの幾つもの人の営みが生まれ、交差する。『ドナウの旅人』や『錦繍』で堪能した宮本輝の熟練の物語構成に、圧倒され魅了されて上巻を読み終えました。(H. N.)
・「入善漁港、釣り人が陣取る岸壁、その横の黒部川の河口、河口で羽を休める海猫やカモメ。目前に拡がる海。みんな語りかけている。にぎやかに歌っている。どれもこれも心があるのだ。私は、その心がどこから生まれたのかを知ったのだ。」と千春が思う場面があるが、渦巻く夜空と連なる山々と麓に眠る家々、ゴッホの「星月夜」には人の姿は見えない。悠久のドナウ川であれ、今回舞台となった白山連峰の麓であれ、そこに点描される人々の描写は不思議と静かである。それが人生だと作者は教えているか。 (M. Y.)
・北アルプスの涼しげな風景を想像しながら気分良く読めました。核となる夏目佑樹をはじめ登場人物が清々しく、読後の清涼感を感じさせてくれました。様々な地域や立場で生活する登場人物たちが、皆なんらかの形で祐樹や千春たちに関わり、最後に滑川市に集結するのが微笑ましかったです。宮本輝は地域や人の魅力を描くのが上手いですね、旅行したような得した気分です。(N. N.)
・本書は日本海側の旅。福岡も日本海側だけれど、海に迫る立山連峰のような高山は福岡になく、その風景の違いを楽しみながら読んでいます。(H. K.)

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464/28/05/22/『戦争は女の顔をしていない』/スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ鮨水魚 /渡邊稔子
 「戦争をしてはいけない」先の大戦から私たちは学びました。一般市民がスマートフォンで撮影した映像、私たちはそこにいる一人一人の人生を想像できているでしょうか? 攻める側も攻められる側も、どちらにも戦争を正当化する理由はない 。制裁よりも、和平への動きを期待したい。関さんの飛び入り参加で、政治談義もありました。(T. W.)
 プーチンはこの本を読んではいないでしょうね。ウクライナを口実に再軍備を堂々と弁じるようになってきた日本の政治家たちも同様でしょうが、これほど同じ事が繰り返されるということは、人間には信頼すべき真善美は何処にも無いのでしょうか。「文学教育」の必要性をあらためて強く感じさせる読後感でした。(M. Y.)
 本来は多種多様な個人が兵士になれば1つのコマに過ぎなくなる。戦後ようやく個人が語られるようになったのに、またしても祖国防衛を主体にして戦争を回避できない人間たちが残念でなりません。(H. K.)
 数えきれないほどの名言に、久しぶりにメモをとりながら読みました。石牟礼道子さんの苦海浄土と重ねた深い感動がありました。家族のために進んで戦地に挑んだ少女たち、その純粋な気持ちが戦争に利用されたとしか思えません。決して美化することのできない戦争の現実に 、憤 りを感じながら読み終えました。(N. N.)
 満州から引き上げ日本にたどり着いた15才の父のリュックに、略奪されずに残ったのは碁石のみ。初めて勤めた大学の中国文学の先生は終戦の年に招集されソ連に抑留、膝の周りは親指と人差し指の輪に収まったと。知覧特攻平和会館で初めて見た、驚くほど小さくあまりにも簡素な実物の特攻機。こういった断片に、戦場に立ち故に疎外された女性たちの歴史が加わりました。淀みない日本語にされた三浦みどりさんに畏敬の念を抱きました。(H. N.)
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463/30/4/22/『透光の樹』/高樹 のぶ子蓮/山中光義
 千桐は束ねた黒髪がきれいな女性でした。それがもはやピンとこない。白髪のきれいな女性を主人公にして欲しいものです。四十路の男女の恋愛が、こうも簡単に情熱的になったり、いつも物悲しさを引きづったりするものなのかと、正直理解しづらいのですが。恋愛と喪失感とが同じ認識で語られた箇所は記憶に残りました。これからは人の耳の形が気になりそうです。 (H. K.)
 主人公二人の性愛の淡々とした描写のみの小説ですが、その背景にある、伝統を抱える家族や白山のふもとという霊的な地域描写、また色彩の表現、全てが折り重なって美しいのです。ここまで二人きりの閉ざされた性愛を美しく表現できるものかと、驚きでした。 (N. N.)
 谷崎潤一郎賞受賞作ですが、作者がいつの日か「陰翳礼讃」を書けるか、と思いながら読みました。還暦を過ぎたKeysメンバーを念頭に置いた作品を作者に頼みましょうか? (M. Y.) 
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462/  /03/22/『ある男』/平野啓一郎中竹尚子コロナ休会 
 戸籍売買の背後には重い事情が隠されており、他人が口出しすることは不謹慎と思いますが、生まれ変わったら全く別のタイプの人生を歩んでみたいという願望はありますね。それは何?(M. Y.)
 過去から今まで、自分の人生にストーリーを描き、責任を重たく感じながら生きてきたようです。人生の分岐点のタイミングで、想定外の生き方、無限の広がりに気づかせてくれました。(N. N.)
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461: /02/22  ディーリア・オーエンズ/友広純訳『ザリガニの鳴くところ』 千葉敦子 コロナ休会
 「最初は、不思議で悲しい話と思っていましたが、途中からどんどん引き込まれて読みました。悲しいDNAの自分たち、痛感します。涙して少しずつ安心感が高まったのに、最後の最後で・・・」(Y. S)
 「父親のDVで家族を失い、社会からの偏見、孤立孤独など身近な社会に溢れている課題です。でも、カイアの逞しさ、豊かな自然、様々な生物たち、この表現、描写は他の作品にはない素晴らしいもので、本当に感動いたしました。」(N. N.)
 「自然の声に耳を傾けた寄り添い生き抜いてきた「湿地の少女」は、野生動物の行動に精通している。傷ついた仲間に襲いかかる七面鳥や偽りの愛のメッセージを送るホタルの行動から「その本能は人間にも組み込まれていて、いつでもその顔になれる」と語る。差別する人間たちが大勢登場する一方で、例えばカイアのプライドを傷つけないやり方でガソリンや日用品を分けて助けてくれた有色人種の夫婦、カイア著の本をとっくに購入しているのに初めて手にするかのごとくカイアから本を受け取った青年テイト。そんな無償の行動は野生と一線を引く人間らしさとして心に残った。」(H. K.)
 「「自然」を象徴するカイアと「文明」の織りなす硬質なサスペンスという印象を受けました。誠の恋人によって真犯人が死後に暗示されること、しかも、その事実は永久に消されるという暗示に、この重いテーマに対する最後の救いを与えられた印象でした。」(M. Y.)
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460/29/01/22/『愛さずにはいられない』/藤田宜永/勝野真紀子/コロナ休会
 ”藤田宜永の自伝的小説、それも痛々しいぐらいに若く不安定な思春期の頃の自分を長々と書き綴った小説。何を訴えたかったのか、この小説を小池真理子さんが藤田宜永氏が亡くなった後に、敢えて文庫で出版した本意をいろいろ探ってみたくなりました。セットで読んでみて、興味深かったです。 (N.N)
 最後の小池真理子の文章がよかった。時代が同じならもっと共感できたかもしれませんが、高田馬場や池袋周辺がよく出てくるのは懐かしく学生時代を思い出しました。自分と家族との関係、人ぞれぞれ、他人には理解されない、それは真実だと思います。(Y.S)
 少し時代はズレますが、同じ時代を生きていたような気持ちにもなりながら読み終えました。私の新年の抱負:昨年に続いて、今年もKeysの本の完読を目指します。 (M.Y)
 読後、先月の小池真理子さんの本をもう一度手に取ってみました。母親への憎悪の念から生涯逃れることができなかった藤田氏ですが、巻末に掲載されている絵、仲睦まじく手を携えふたり穏やかに笑っている姿からは到底想像もつかない。互いの存在を「かたわれ」と呼び合った並の女性ではない小池真理子さんの藤田氏への深い愛を改めて知ることとなりました。(M.K)”
  <小説の動の部分>主人公の破天荒な生活ぶり、当時の学園紛争、バブル前70年代の歌舞伎町、センチメンタルで明るい当時の流行歌
 <小説の静の部分>感情の飢えを癒す読書傾向、未来への圧倒的な不安、母性神話への拭い難い苛立ち
 この両面が物語の進行に従ってクルクルと交代しながら表舞台に登場し、飽きさせない、一人の人間の成長の物語として読めました。破天荒ぶりと未来への不安は、自分の過去を思いださせ、「そうそう」と共感を持てました。学園紛争、バブル、流行歌、本の紹介はこのような昭和の時代を共有してきたという、作者との連帯感のようなものを覚えました。私の時代(よりも少し前になるでしょうが)を代弁するbuildungsromanに思え、心温まる読後でした。(H.N)

KEYSの歩み 
  一冊、そしてまた一歩

 本好きな者たちがいました。本もさることながら、本をネタにして酒を飲み、議論することが好きな者たちだったのかも知れません。

 毎月一冊、幹事持ち回りで本を選び、夜の店を選び、最初の頃は朝まで飲みまわって、「夜明けのコーヒー」を飲んで解散することがかっこいいと思っている集団でした。

 加わるも自由、去るも自由、各人己の鍵を持っているという自己責任が唯一の取り決めでした。

 ほとんど毎月休むことなく続いて、300冊を越える本を読んできたことになります。元のメンバーの中には亡くなった者もおり、これからも一人また一人と消えてゆくのかも知れませんが、恐らく最後の一人になるまでこの会は続くでしょう。その時、何百冊の本を読んだことになるでしょうか。

 このホームページは、その貴重な記録です。