2025年度読書会記録

回 /開催日 /本 /著者 /店 /幹事

497/ 25/2/22/『ゲーテはすべてを言った』/鈴木結生/蓮/山中光義
* タグのフレーズにある「love」「confuse」「mix」が、様々な解釈の中でより謎を深めていく。面白い展開と思った。統一の学者としての矜持も相まって、ゲーテの哲学やキリスト教の教示、シェイクスピアなどの錚々たる面々の「言葉」が謎解きに関わってくる。全ての言葉は確かにこれまで言い尽くされているのかも。統一の暗中模索の真っ只中で、そのようにも思えたが、そう言い切ってしまうと、途端に面白くなくなってくる。それぞれの「言葉」に対する興味が深くなり、より知ろうとする自分がいた。小説としては、最後、意外にあっさりした印象で終わったが、「言葉」の持つ魔力を存分に思い知らされた作品だった。 (N. N.)
* 博把統一が放送番組用に準備したゲーテ『ファウスト』をめぐる約120頁のブックレットが「はち切れんばかりで、何だか、八〇年代のオールスター・キャスト・ステージを髣髴とさせないでもない。これでは書き手ばかり満足して、読者は胸焼けするのではないか、と今更ながら不安に感じると共に、結局、俺はいつもゲーテに託けてすべてを言い切りたかったのだ、と、、、、己の未発展に鼻白む。」という一節を、この若き芥川賞作家が受賞作へのパロディとして書いているとしたら、乾杯したい。それにしても、「専門への知ったかぶりと専門外への知らん振りがマナーのような学問の世界」という的確なる情報を彼はどこで手にいれたのだろうか?難しいと言われる受賞後の次作に注目したい。(M. Y.)

496 / 25/1/25/『塞王の楯(下)』/今村翔吾/ななつの花/千葉敦子
(幹事コメント)
充実したシニアライフを過ごせる達人を目指し修行中の4人が、現在のこと、将来のことについて、楽しく語らいました。「塞王の楯」については、映像化するとしたらかの石積みの達人を演じるのは誰が良いか・・・叶わぬことながら、西田敏行さんならば期待に応えてくれるのではないか、と想像してみたりして。どの石が要石なのか、それが見抜けるからこその塞王なのだけれど、願わくば自分もこれからの人生において要になるものを見出し、どっしり過ごしていけたらいいなと思いつつ帰路につきました。
* NHKの歴史番組「歴史探偵」では、1月8日午後10時から「戦国ご当地大名シリーズ 立花宗茂」が放送された。生涯無敗、戦国最強といわれる立花宗茂の強さの秘密を徹底調査、見えてきたのは、敵を翻弄した底知れぬ知略と独自の鉄砲戦術であった、云々と。今回の『塞王の楯』(下)で、大津城主高次は、敵軍の将家康に、「拙者は蛍大名にて。皆の力を借りねば耐えられませなんだ。」とけろりと言い放ち、流石の家康も面食らって苦笑していたという。他方、飛田匡介は、開城の後、立花家の陣に呼ばれ、「どうしてもお主の顔を見てみたかった」と言われ、「何故、石垣が崩れなかったのに降伏したのだ」と訊く西国無双立花宗茂に、どうしても必要な要石が、あの一撃で割れたからと応えて、宗茂を驚かす。NHKの視点と違って、主役は匡介の「楯」なる職人魂対国友彦九郎の独創的な鉄砲戦術の「鉾」の戦であった。NHKの番組製作者がこの本を読んでいたら、まったく違った内容になっていたのではないか。(M. Y.)
* 冒頭の「序」、朝倉家の百年の安寧に守られてきた一乗谷の民が徐々に騒然となって山城に逃げ惑う様子。離ればなれになる妹花代の姿が、賽の河原での石積みと相まって、この後の匡介の生涯に大きな影響を及ぼし続ける。この場面、平和に慣れた民が身の危険を感じ始めてパニックになるまで実にリアルに描かれ、今も世界で起きており、いつかは我が身にも起こりうるかと、「戦争」へのつらい気持ちを想起させるものであった。冒頭から作者の世界観に引き込まれてしまった。(N.N.)
* 敵と味方、決して面と向かって対話していないのに互いの考えを理解しながら己の誇りをかけた戦いの幕が上がった。緊張感のある場面が続く下巻で、飛田屋・荷方小組頭玲次が敵方に囲まれながら死を覚悟して石を運んで帰ってきた場面に高揚を感じた。飛田源斎の親類である玲次が源斎の跡を継ぐものと思われていたが、源斎は匡介を養子にして跡取りにした。それ以降、石垣づくりの3工程のなかで最も過酷とされる荷方に転身した玲次。「石垣というものは大小様々な石によって成り立っている。形もまた様々である。幾ら整った石でも場所によっては役に立たず、歪で不格好な石でも要として役立つこともある。それぞれに力を発する、意味のある場所があるのだ。」という彼の言葉がより尊く思われた。 (H.K.)