回 /開催日 /本 /著者 /店 /幹事
500/25/5/24/『STONER(ストーナー)』/ジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳/ /勝野真紀子
499/25/4/29/『すべての、白いものたちの』/ハン•ガン/食堂ぎんみ/渡邊稔子
* 私の前には水子がいた。その胎児が流産しなければ、私はこの世にいなかったか?私の長男の前に生後10日で亡くなった子供がいた。もしもそうならなければ長男もこの世に生まれなかったか?英米でかつて流行った意識の流れタイプの小説では、最初から最後まで主人公の意識の流れに付き合わされるが、断片を貼り合わせたようなこの小説では、主人公の断片的な意識をヒントにこちらも自由に意識の逍遥が許されている感じで、この世に「純白」は無いと確信し、様々な色の混ざり合いの人生を回顧する機会を与えてくれた作品であった。(M. Y.)
* 三部作の「フォトエッセイ」のように感じられた作品が、第一章から二章三章へとつながる「物語」に見事に変わったのは、訳者斎藤氏が「先に解説を読んでから文にアクセスしてください」とする巻末解説のおかげである。しかしイ・ラン氏の書評「白いものについて読み、白いものを思い浮かべるだけで記憶が満ちあふれ」からは、もしかすると解説を知らない方が読者それぞれがそれぞれの白いものと自由に出会えたかもしれないと受け止めることもできるとするのは私だけであろうか。単体の「白い」からむごくきびしく、それ故に刹那的で美しい「白いものの存在」を教えてもらった作品だった(H. K.)
* 2部の「彼女」で描かれる白いものたちは、あまりにも苦痛や悲しみ、儚さを含んでいる。吠えない白い犬はその生涯を終えるまでなんと切なすぎる。作者は何が言いたいのか?「作家の言葉」で初めてわかった。白「ヒン」は生と死の寂しさをたたえた色だと。破滅して復活したワルシャワという都市と、生後亡くなった姉が生きていたらというのイメージが、詩のような文章で折り重なる。私自身が掴みきれないもどかしさもあり、何度も読み返したくなる作品であった。 (N. N.)
* 「2024年にノーベル文学賞を受賞した韓国人作家が書いたもの」ただそれだけの情報(知識ではない)しかないままに、この本を選んだ。文庫で出版されており、ページ数も多くない。これならみんなが手に取りやすいかもしれない。それだけの理由。スマホを開いて読み始め、疑問ばかりが湧いてくる。どうして白いものについて書くの?白いものっていったい何?「私」が主人公?「彼女」って誰? 作家の言葉、訳者の補足、平野啓一郎氏による解説、それらを読み終え、もう一度読み返して感じたのは「死があるからこそ、生がある」ということ。舞台はおそらく秋から冬へ向かう季節のワルシャワ。ソウルの冬と同じように厳しい寒さなのだろう。破壊から再生したその街で、書くことで死を受け入れ、生へと向かっていく。死をそのままに受け入れる。それが「白いもの」と表現されているのではないか。「死は生の対局としてではなく、その一部として存在している」好きな小説の一文を思い起こした。それにしても、私にとって、いつのまにかkeysは毎月繰り返される日常となり、回数を数えることを忘れてしまっていました。(T. W.)
* ノーベル文学賞受賞作家ハン・ガン(韓江)は、あまりにも素晴らしい作家。彼女は日々の生きる思いや痛みを描く。雪が白く積もり、すべてが白く覆われ、すべてを隠し、雪が溶けない冷たい風景が描かれながら、透きとおったような彼女の美しい言葉が続く。『すべての、白いものたちの』は、彼女自身の個人史にも通づる。白い産着に包まれながら、生まれて2時間あまりで世を去ったハン・ガンの姉や「死なないで、死なないでお願い」と最後までささやきかける母の哀しみ、生と死、を喪を象徴する「白」でたたみかける。ハン・ガンは、姉が生まれていたならば、自分はどうなっていたのだろうか、自分は存在しなかったのではないか、と問い、生死が交差するかのような不思議な広がる時空を描く。ノーベル文学賞受賞式で「風と海流。全世界をつなぐ水と風の循環。私たちはつながっている。どうぞつながっていますように。」と、述べたように、彼女の物語は、時間的にも空間的にも広がっている。(H. S.)
498 /25/3/29 /『団地のふたり』/ 藤野千夜 /寿司割烹黒潮 /中島久代
* 幹事コメント:Keysのメンバーは昭和生まれ。3月の例会では、「団地」ということばのニュアンスの変遷がひとしきり話題になりました。長い昭和の生まれ育った時期と場所でイメージが異なっていることはちょっとした歴史発見でした。
* ドラマでこの作品の虜になっていたが、私の大好な個性的でほっとする奈津子の部屋は原作そのものだったと思い知らされた。原作の世界観の素晴らしさを改めて感じるとともに、それをエキス的に見事に表現していた小林聡美と小泉今日子がこれまたすごい。長年住み続けた団地だからこその人間関係。住民の多くは親の世代で、50代でも若手とされ何かとお役立ちを求められる日常、そのプチな助け合いがなんとも読んで心地良かった。(N. N.)
* Keysで2004年4月に『負け犬の遠吠え』(酒井順子)を取り上げましたが、その頃「勝ち組・負け組」という言葉がトレンドでした。温暖化、震災、天災、コロナ禍、戦争というずっと不安定な世情の中で負けるということに違和感が薄れ、その言葉はすっかり忘れ去られたように思っていました。奈津子とノエチの物語は久しぶりに「勝ち組・負け組」を思い出させました。多分、このトレンド語の定義で言えば、2人は負け組。ですが、2人のつつましい生き方を、なんだかほっとする、なんだか羨ましいものにしているのは、2人を取り囲む新旧の要素、都会の中の古びた団地という空間やそこに住むお年寄りたちという古さとネットオークションや百均という新しさ、とそれをうまく活用する2人の人柄と知恵、だと思いました。スイスイ読めるけれど、随所にこの時代をどう生きるべきかを考えさせる小説でした。小説より先にテレビドラマを見ましたので、主人公女性2人のイメージがどうしても奈津子=小林聡美とノエチ=小泉今日子になってしまいますが、名演技だったと思います。(H.N.)
* この物語を読みながら、主人公二人の生き方にだんだんと惹かれていった。50歳を迎え、幼い頃過ごした団地に戻り生活を営む二人。イラストレーターの仕事をしながら、不用品をネットで売り生活している奈津子と、大学の非常勤講師を掛け持ちしながら生活する野枝。「女性が輝く社会」と掲げられながら、この日本では女性がなかなか輝くことができない現実がある。その現実の中で、もがく事をしたのか、しなかったのかは分からない二人だが、今は自分たちの実情にあった毎日を送っている。二人は時々喧嘩するが、お互いを尊重している。団地の人々から不用品を受け取り、それを生活の糧にする営みは、托鉢修行を行い功徳を積む僧の姿のように見える。団地のおばあちゃんたちに網戸の修理など経験のない事を頼まれ、何とか応える二人。おばあちゃんたちを助けているようにも見えるが、実は二人は暖かく見守るおばあちゃんたちに助けられているのかもしれない。「助ける」「面倒をみる」という言葉では本当の助けにはならない。人に寄り添い、人に尽くす事の幸せを教えてくれる物語だ。(H. S.)
* 家から車で10分弱のところに1977年(昭和52年)に当初は170戸の原形が完成、2010年現在約2000世帯が暮らす総数55棟の高層公団住宅団地「四箇田団地」があり、郵便局や銀行の所用で毎週のように出かける場所である。2022年(令和4年)7月末現在の人口は2,967人で、空き部屋が目立っているようであるが、小説の舞台と同じ、「基本は昭和の団地仕様」だと思われる。小説では、「板の間と畳の部屋が三つ。素っ気ない流しと洗面台。ガスコンロとシンプルな換気扇。一度交換したはずだけれど、昭和感のただよう白い湯沸かし器」とあるが、田舎暮らしの小生には、「公団住宅」は憧れのモダンな生活空間の響きそのものであった。1973年(昭和48年)の暮れに転勤で現在の場所に移ってきた時、50坪そこそこの分譲地に隣接して、「田隈団地」と呼ばれる一画があった。「団地」と言っても、各戸いずれも100坪近い分譲地の戸建てであった。「団地」という響きが「憧れのモダン住宅」というセールスポイントになっていたからに違いない。戦後日本の住宅の歴史と人間模様を見事に表現した好編だと感心した。小泉今日子/小林聡美/由紀さおり等によるテレビ放送も大いに満喫した。 (M. Y.)
* 以前、団地に住んだことがある。全部で28棟もある大型のUR公団なので、敷地の中にショッピング店舗があり、食料品や衣料品を扱う店、クリーニング店、電気店、郵便局や病院まであった。団地の外に行かずとも普段の生活には不便は感じないかもしれない。学校も幼稚園から小学校、中学校まであるから、引っ越さなければ団地のいたるところに幼馴染がいることになる。団地の中を歩けば軽く会釈を交わすくらいの顔見知りに必ず会う。それは穏やかではあるけれど時に窮屈さを感じる世界で本書とのニュアンスの違いを感じた。が、網戸を自分で変えたり、古い風呂窯のレバーを回して湯を沸かしたり、団地内にある唯一の喫茶店でたまにナポリタン(パンケーキでなく)を食べたのは良き思い出となっている。(H. K.)
497/ 25/2/22/『ゲーテはすべてを言った』/鈴木結生/蓮/山中光義
* タグのフレーズにある「love」「confuse」「mix」が、様々な解釈の中でより謎を深めていく。面白い展開と思った。統一の学者としての矜持も相まって、ゲーテの哲学やキリスト教の教示、シェイクスピアなどの錚々たる面々の「言葉」が謎解きに関わってくる。全ての言葉は確かにこれまで言い尽くされているのかも。統一の暗中模索の真っ只中で、そのようにも思えたが、そう言い切ってしまうと、途端に面白くなくなってくる。それぞれの「言葉」に対する興味が深くなり、より知ろうとする自分がいた。小説としては、最後、意外にあっさりした印象で終わったが、「言葉」の持つ魔力を存分に思い知らされた作品だった。 (N. N.)
* 博把統一が放送番組用に準備したゲーテ『ファウスト』をめぐる約120頁のブックレットが「はち切れんばかりで、何だか、八〇年代のオールスター・キャスト・ステージを髣髴とさせないでもない。これでは書き手ばかり満足して、読者は胸焼けするのではないか、と今更ながら不安に感じると共に、結局、俺はいつもゲーテに託けてすべてを言い切りたかったのだ、と、、、、己の未発展に鼻白む。」という一節を、この若き芥川賞作家が受賞作へのパロディとして書いているとしたら、乾杯したい。それにしても、「専門への知ったかぶりと専門外への知らん振りがマナーのような学問の世界」という的確なる情報を彼はどこで手にいれたのだろうか?難しいと言われる受賞後の次作に注目したい。(M. Y.)
* 著者の鈴木氏は、10歳の時に3.11福島の原発事故を経験して世界の滅亡を感じ、この不安定な世界を小説を書くことでなんとかつなぎとめようとしたと語る。(3/22朝日新聞「好書好日」)作中の大学教授の統一は、目の前に広げたテクストを見ながら思う。「なるほど多くの単語があり、それぞれに役割があって並べられている。(中略)だからといって、それら一つ一つの語彙が完全に必然性を持ってそこにあるとは、統一にはどうにも信じられなかった。」すべてを言葉にしないと気がすまないが、その必然性を確信するのは自分だけなのも確かだということか。真も偽もないまぜになった言葉の流れがあふれた作品だった。(H. K.)
496 / 25/1/25/『塞王の楯(下)』/今村翔吾/ななつの花/千葉敦子
(幹事コメント)
充実したシニアライフを過ごせる達人を目指し修行中の4人が、現在のこと、将来のことについて、楽しく語らいました。「塞王の楯」については、映像化するとしたらかの石積みの達人を演じるのは誰が良いか・・・叶わぬことながら、西田敏行さんならば期待に応えてくれるのではないか、と想像してみたりして。どの石が要石なのか、それが見抜けるからこその塞王なのだけれど、願わくば自分もこれからの人生において要になるものを見出し、どっしり過ごしていけたらいいなと思いつつ帰路につきました。
* NHKの歴史番組「歴史探偵」では、1月8日午後10時から「戦国ご当地大名シリーズ 立花宗茂」が放送された。生涯無敗、戦国最強といわれる立花宗茂の強さの秘密を徹底調査、見えてきたのは、敵を翻弄した底知れぬ知略と独自の鉄砲戦術であった、云々と。今回の『塞王の楯』(下)で、大津城主高次は、敵軍の将家康に、「拙者は蛍大名にて。皆の力を借りねば耐えられませなんだ。」とけろりと言い放ち、流石の家康も面食らって苦笑していたという。他方、飛田匡介は、開城の後、立花家の陣に呼ばれ、「どうしてもお主の顔を見てみたかった」と言われ、「何故、石垣が崩れなかったのに降伏したのだ」と訊く西国無双立花宗茂に、どうしても必要な要石が、あの一撃で割れたからと応えて、宗茂を驚かす。NHKの視点と違って、主役は匡介の「楯」なる職人魂対国友彦九郎の独創的な鉄砲戦術の「鉾」の戦であった。NHKの番組製作者がこの本を読んでいたら、まったく違った内容になっていたのではないか。(M. Y.)
* 冒頭の「序」、朝倉家の百年の安寧に守られてきた一乗谷の民が徐々に騒然となって山城に逃げ惑う様子。離ればなれになる妹花代の姿が、賽の河原での石積みと相まって、この後の匡介の生涯に大きな影響を及ぼし続ける。この場面、平和に慣れた民が身の危険を感じ始めてパニックになるまで実にリアルに描かれ、今も世界で起きており、いつかは我が身にも起こりうるかと、「戦争」へのつらい気持ちを想起させるものであった。冒頭から作者の世界観に引き込まれてしまった。(N.N.)
* 敵と味方、決して面と向かって対話していないのに互いの考えを理解しながら己の誇りをかけた戦いの幕が上がった。緊張感のある場面が続く下巻で、飛田屋・荷方小組頭玲次が敵方に囲まれながら死を覚悟して石を運んで帰ってきた場面に高揚を感じた。飛田源斎の親類である玲次が源斎の跡を継ぐものと思われていたが、源斎は匡介を養子にして跡取りにした。それ以降、石垣づくりの3工程のなかで最も過酷とされる荷方に転身した玲次。「石垣というものは大小様々な石によって成り立っている。形もまた様々である。幾ら整った石でも場所によっては役に立たず、歪で不格好な石でも要として役立つこともある。それぞれに力を発する、意味のある場所があるのだ。」という彼の言葉がより尊く思われた。 (H.K.)