🔑Kindleに感謝 山中光義

定年後に最初に幹事をして選んだ本は川端康成の『雪国』でした。たくさん買い込んでいた文庫本を、定年後にもう一度読み直したいと計画していた最初の一歩でした。ところが間も無く、文庫本の文字が小さくて読みづらくなってきました。出たばかりの単行本だと文字も大きくて大丈夫だったのですが、何百冊かの文庫本はお蔵入りです。苦境を救ってくれたのはKindleの登場でした。文字の大きさは自由に設定できるというものです。最初の頃は、紙ベースの新刊本と同時にKindleでも読めるということではなかったのですが、やがて、ほとんど全ての新刊は、従来通りの紙印刷と同時に電子ブックでも発売されるようになって、今日に至っています。出たばかりのものは、ほとんど値段の差は無かったりしますが、少し時間が経っていれば電子ブックはうんと安価に入手出来ます。

電子ブックの利用価値の一つに、気に入った箇所にマーカーを付けて、その箇所を簡単に検索でき、必要に応じて、コピー・ペーストの形に自分のメモとかメールに転送できる機能があります。昔、文庫本などに赤鉛筆でたくさんの線を引いていた作業です。直接線を引いたり書き込んだりしていると、その本をメルカリやアマゾンで売れなくなります(実は、蔵書整理のために少しづつ両社に出品して、密かに古書店事業に手を出しているところです。これは、税務署には内緒。)最近は、Keysで読んだ本のコメントを書く機会が増えてきましたが、その時などにも大いに助かっている次第です。Kindleへの感謝の最近の例は病院でのことでした。過日、或る病気で5日間入院していたのですが、点滴のチューブや酸素吸入の管で簡単に寝返りも打てず、狭いベッドに拘束されて、譫妄状態になって夜も眠れず、怖い目に遭いました。病気に伴うこれから先の諸々の事どもに精神が錯乱するのではないかという恐怖でした。気持ちを別の方向に向けるために、Kindleの本を読むことにしました。現在私のKindleには200冊余の本が入っているのですが、昔読んだ平野啓一郎の『ある男』を開きました。2022年3月(462回)の指定図書で、中竹尚子さんの幹事でしたが、生憎の「コロナ休会」の時でした。戸籍を交換して別の人生を生きるという、ミステリー仕立ての内容で、愛、過去、出自、差別など、人間存在の根源的な問いに迫る第40回読売文学賞受賞作でしたが、思わず夢中になって読み耽ってゆく中で、個人的な不安を乗り越えることができました。因みに、消灯して暗い中でも、Kindleの画面は明るく、読書ができるというメリットもあります。

いつの日か、視力が極端に落ちて、Kindleの文字を拡大しても読めなくなる時が来るのかも知れません。その時は、(すでに、色々と出ていますが、)本の内容を音声で聴かせてくれるという機能に頼ることが出来るかも知れません。耳も聞こえなくなったらどうしましょう?

🔑Keys500回に寄せて-恋をしよう 渡邊稔子

恋をしたいと、時々思う。否、いつでも思っている。61歳になった今でも。

恋をしているときは、相手の言葉や態度に一喜一憂する。夜ベッドに入り、その日の出来事や恋する相手との会話を振り返り、あれこれひとり想いを巡らす。胸が苦しくなったり、熱くなったりと、心は落ち着かない。でも、なぜか毎日が楽しいのだ。福岡女子大学に通っていた当時、夜が更けるにつれ、友人らとそんな恋の話で盛り上がったものだ。

そういうことをあまり意識することがなくなったのはいつからだろう。なぜだろう。

私のkeysデビューは、第76回(1990年1月20日)、26歳の冬だった。東京で働いていた同級生が福岡に戻ったのに合わせて、参加するようになった。それから500-75=425冊の本を読んできたことになる。もちろん、欠席も休会もあり、そして本を読めないまま参加したこともたくさんある。

私にとってkeysは恋の場である。誰かが、本という恋の相手を紹介してくれるのだ。自分では全く手に取ることのなかった本と出会い、のめりこんでいくこともあれば、自分で選んでおきながら、読むことが苦痛でたまらないこともある。

恋の相手となった本の中で、私は違う人生を生きることができる。登場人物になったつもりで、あるいは本には存在しない新たな登場人物として、物語に参加し、喜び、悲しみ、怒り、嘆く。

そうして、毎月1冊の本を通して、keysに参加し、言葉を交わしてきた。他人が発する言葉の背景にあるであろう、個人的な経験や知識、価値などを想像してみることも、恋する相手の気持ちを想像するのによく似て、とても興味深いものだ。

初めての参加から35年余りの歳月が過ぎ、鮮明に記憶に残っている本や言葉もある一方で、忘却の彼方に消え去ってしまったものも少なくない。故に、また新しい出会いを求めて、keysに出かけて行くのだ。かなりこじつけのようだが、まさに恋だ。忘れるから、次に進んで行ける。私は、まだ恋をしているではないか。

さて、当初の私の疑問の答えは、『愛はなぜ終わるのか』(第118回)に書いてあったのかもしれない。生身の人間に対する恋と縁遠くなりつつあるのは、生物学的理由で説明されるだろう。肉体は生殖機能を失った。これから老いに向かい、私はいずれ認知症になる。その時が来たら、私は妄想の世界に生き、そこで恋をして、幸せな気分で死を迎えたいと思う。もの盗られ妄想には憑りつかれたくない。だから、私はこれからもkeysに出かけていく。未知の本と出会い、幾通りもの人生を生き、未来のために、とびっきりの妄想の素となる物語を、今のうちにしっかり記憶に留めておきたいと思うのである。

 keys500回。自然な流れの中で、我々とともに、keysも変わりつつ、続いてきたことに、感謝です。

🔑徒然に⎯KEY500回おめでとうございます 古津宣子

42年目に突入したKEYSはまさに『昭和』『平成』『令和』をたおやかに生き抜いてきました。ここで改めて思いますが、「たおやか」とは「女が弱」と書くのですね。英語の graceful のイメージとはかけ離れていますが、大昔は、女性がか弱く見える姿に、しなやかさや優美さ、しかし芯の強さを重ねて表現されたのでしょう。そう考えると、この言葉もまた、時代とともに意味がずれてしまったのだと感慨深いです。

話を戻しますと、これほどの偉大な歴史は、ひとえに福岡の皆さまのご尽力の賜物だと、心より感謝申し上げます。私は本のはじめの数年しか参加できず、その後もご案内を頂きながら、まともに読めていません。まるで学生時代の劣等生を引きずっているようです。

KEYSの全容を語れる立場にはないので、今回は南阿蘇の某宿での時代の流れを少しご紹介したいと思います。

13年前、南阿蘇の片田舎の宿で働き始めた頃、お客様のほとんどは日本の方で、海外のお客様は月に2~3組ほどでした。英文科卒とはいえ、たまにいらっしゃる海外のお客様対応では、心臓はバクバク、冷や汗はタラタラ。つたない英語でConfirmation Emailのテンプレートを作り、突然かかってくる訛りの強い英語の電話には右耳を塞ぎながら、なんとか切り抜けてメール対応に持ち込む――そんな日々を、ゆったりとした流れの中で楽しんでいました。

当時の海外のお客様は、共同風呂に入るなどもってのほかで、タトゥーがあっても、ほとんど問題になることはありませんでした。7~8年前からは香港・シンガポールからのお客様が増え、私も完璧には話せないものの、心臓の皮だけはずいぶん厚くなりました。さすが、こんな片田舎にまでお越しくださるお客様は、日本の温泉や大浴場を楽しむリピーターが多いです。それでも西洋のお客様は、やはりお部屋風呂を好まれていました。コロナ明け頃からは、本物のネイティブスピーカー、時にはヨーロッパのお客様をお迎えすることもあります。そして、彼らのほとんどは大浴場の温泉が大好きです。

言葉のアクセントや雰囲気から、どこの国の方だろうと想像し、後にパスポートで答え合わせをするのも楽しみの一つです。そんな中、ここ2~3年で、某宿にもダイバーシティの波が訪れました。ネパール、韓国、中国、スリランカ出身のスタッフが活躍しています。最初は、日本のお客様が海外のスタッフを受け入れてくださるか不安もありましたが、それは全くの杞憂でした。外国人スタッフは真面目で温かく、昭和~平成の日本的な雰囲気に加え、明るさとおおらかさを持っています。特にネパールのスタッフは、人と分かち合う気持ち、人を助けたい気持ちにあふれています。かつての日本も途上国だったころ、同じような気質があったのか、あるいは宗教観から来るものなのかは分かりませんが、私はネパールの人たちの気質がとても好きです。今、時代は自国主義に傾き、個人は心地よいものだけを見て(半ば仕組まれて)、分断が進んでいます。そんな中で、ネパール気質のようなものが、とても貴重に思えるのです。

若い頃は個人主義に憧れ、自己主張をきちんとできる人間になりたいと思っていました。それができてこそ一人前の文化人だという感覚でした。でも、私のやり方は間違っていたのだと気づかされます。頭で理想を追い、「こうなりたい、こうしなければ」と呪文のように自分を叱咤激励しながら、いつの間にか自分のinnocence を奥深くに追いやってしまっていました。

自分自身の愛し方も分からず、「私のCOREはどこなのか、何なのか」と、まるで学生時代に戻ったかのような自問自答の日々もありました。そんな中で、スピリチュアルマスターであるヨグマタジに出会うことができ、今は本当の私に出会うために、自分自身の内側の旅を少しずつ続けています。

🔑古い辞書たち・古書たち 中島久代

Keys300回記念のエッセイは、近藤紘一書『サイゴンから来た妻と娘』(Keys68回1989年5月27日 藤井紀子さん幹事)を入り口にして、読書と故郷、本と家族を回顧する場とさせてもらった。500回記念のそれには、研究を通して出会った古い辞書たちと古書たちが紡いでくれた幸せを語りたいと思う。入り口は三浦しおん著『舟を編む』だ。

辞書編纂をフィクションとして描いた、三浦しおん著『舟を編む』(光文社、2011年)は、翌2012年に本屋大賞を受賞、Keys384回(2015年9月19日)の本として、勝野真紀子さんによってKeysにデビューした。辞書編纂という仕事は、徹底的に地味で、しかしことばへの尽きない興味と超絶的な根気を要する、困難極まりない玄人の世界だという私の思い込みに、「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」という美しい解説は、ちょっとした衝撃だった。人はことばと生きる。辞書は私たちの人生の大航海に寄り添うことばたちを乗せた舟。辞書編纂はことばと人の大冒険なのだ。この小説は2014年には映画化され、馬締役に松田龍平、岸辺みどりに黒木華で、ほぼ原作通りの静かな感動を覚えたことを記憶している。2025年6月、『舟を編む』がNHKドラマ10に登場した。懐かしさで毎週録画して見ているが、辞書がほぼ全てデジタルになった今、紙の辞書を刊行することにかける情熱に小さな違和感を持った(第6回で刊行はデジタルか紙かの闘いが描かれた)。しかし、その小さなささりは、何年も何十年も使ってきた古い辞書たちのこと、出会い手元に来てくれた古書たちのことをフラッシュバックしてくれた。

小学校2年生くらいから中学校卒業まで、私は小さな国語辞書を使っていた。縦15cmくらい、横12cmくらい、厚さ3cmくらい、誰かのお下がりだったと思う。子供向けではなく、極めて薄い紙にびっしりと語彙が並んでいた。私の祖母と父の時事会話を聞き齧っては、知らないことばをその辞書で引いていた。引くたびに何でも判ることが素朴に嬉しかった。私の辞書の原点、青い塩ビの表紙はやがてはずれ、ピンクの紙のブックカバーをかけたが、そのうちにページもバラバラになっていった。もう手元にはないが、指に吸い付く紙の感触はまだ思い出せる。

修士課程に入り、英文研究室の古い巨大な木机の真ん中にOEDが逆さまに並んでいた。1冊が非常に重いOEDの合理的な引き方は、机の上に倒して引くのだ。ある日、正門の前にずっと昔からある古書店日比谷書店にふらりと入ると、OEDが130,000円で売られていた。このOEDを手元に置ければなんてカッコいいんだろうという衝動が走ったが、この値段は貧乏学生の私には厳しい。一晩考え、翌日また日比谷書店のOEDの前に行って自分の気持ちを確かめ、分割払いで購入した。店主がどうやって持ち帰るか聞くので、宅急便と答えると「せっかく大金はたいて買ったものは自分で大事に運んだほうが本も喜ぶ。タクシーで帰んなさい。」と言ってくれた。古書店の主の本への愛は直球だった。古書店は閉じたが主の慈しみを載せたOEDは、それから40年共にある。

修論のテーマは17世紀の形而上詩人John Donne、英文研書庫の中で研究書を探し歩いた。古い本を取り出してページを開くと、ページが袋状に綴じられたままだ。ページが開けない本とは?洋書古書では袋綴じのままがよくあり、購入した人が初めてページを切って読むのだ、ということを教えてもらった。遙か東洋の一隅の書庫まで旅してきたこの研究書は、100年以上も誰も開かず、私が栄えある読み手第一号なのだ、修士1年のこんな私がだ。古書の紙は割合肉厚なので、カッターで袋ページを切る時はちょっと緊張した。その後、袋綴じのままの洋書古書には何度も遭遇したが、その度に奇跡の邂逅に胸躍った。職について、同僚が理系の夫から聞いたという科研費に2人でせっせと申請して3年目、初めて科研費をもらった。種目は奨励研究、1年間で100万円だった。ウキウキワクワク、ほっぺたをつねって、天にも昇る気持ちだった。その予算で神田神保町にある英文学関係の老舗古書店北澤書店から、F. J. Child 編纂The English and Scottish Popular Ballads (10 vols) を購入した。チャイルド・バラッドは1965年にペーパーバック5巻本で刊行されていたが、オリジナルの10巻本を開いてみたかった。到着したチャイルド・バラッド10巻本の第1巻には一枚の紙が挟んであり、「初版 限定1000部」と記されていた。チャイルドはハーバードで約40年かけてこの編纂集を編み、1882年から1898年にかけて刊行していったが、10巻が揃った時に印刷された1000部のうちの1部が私の手元に来たのだった。畏敬の念に打たれた。と同時に、バラッド研究者には垂涎ものだが、売れる見込みは極めて少ない古書を入荷した北澤書店の買い付けの目利きにも感銘を受けた。バラッドに関わる書き物には、以来、必ずこのオリジナルの10巻本に誇りを持って言及した。科研費購入図書は図書館蔵だったので、当時の勤務大学が閉校し図書資料は全て元の短大図書館に移管されたと聞いた時は気が気ではなかった。1902年創業の北澤書店はネット購入の波を被って営業の形は変わったが、今も健在である。(二枚目の写真は北澤書店HPより)

科研費は継続してもらうことができ、1800年代の古書の購入も度重なり、ある時、当時の勤務大学の図書館は私が購入した古書を保管するスペースを確保してくれた。理由を司書さんが教えてくれた。古書は紙が作られた当時のヨーロッパの気候を映す。19世紀は産業革命を経て地球が天候不順になった時代、紙が作られた木が良質ではないため、19世紀の本は慎重な保管が求められるそうだ。私が嬉々として集めた古書は、プロの目で保管されていた。しかし、ある頃から大学図書館の蔵書放出が行われるようになった。九州工業大の知人は英文学関係の図書全てが廃棄されることに憤慨し、引き取って母校英文研に送り無料配布したこともあった。私の勤務大学でも、購入したどんな図書も消耗品となり、手元にずっと置けることになった。41×30×5cm、挿絵原画も色鮮やかなW. J. Linton著The Master of Engraving (1889)も、32×25×3cm、G. Eyre-Todd(私のお気に入りのスコットランド古代文学研究者)編 Ancient Scots Ballads (年代未詳)も無造作に私の部屋の本棚に置かれている。時々、早良区田隈まで運ばれてきた奇跡の生命をここで終えさせるのか、と痛烈な罪悪感に苛まれる。

古書を巡る幸せの締めくくりはお恥ずかしいエピソードで。研究仲間でバラッド詩データベース“The British Literary Ballads Archive”を製作したが、約800篇の作品収集はコンピューター検索時代の直前で、あれやこれやの方法で直接に資料を入手した。2006年2月、私はScottish National Library of Scotlandで残り約40編の虱潰しの作品調査をしていた。捻出できた期間は2週間、往復の時間を引けば10日で全て探し出したい。朝の開館から夜の閉館まで、目録で調べた書籍をリクエストし、Reading Roomで待つ私の元に届くと、見つかった作品のページに嬉々として付箋を付けていった。PC用電源タップを挟んだ向かい側の男性の視線を感じてはいたが、その意味を考える余裕はなかった。中二階でコーヒーとチョコバーで休憩して戻ると、飛んで来た男性司書に私はこっぴどく叱られた。「あなたは利用ルールを読んだのか。本館所蔵の書籍に、破る、書き込む、付箋紙を貼る、などの損傷行為は一切許されない。」利用ルールは自明のことと読んでいなかったし、付箋が損傷行為になるとは思いもしなかった。迂闊だった。書籍の無神経な扱いを私は深く深く反省した。猛烈に怒られながら、古書を尊ぶ場にいることに深い幸せを感じていた。スコットランド国立図書館は2025年に開館100年を祝う。

古い辞書たちと古書たちは幸せを紡いでくれた。Keysを通して500冊の本との出会いも「幸せを紡ぐ」の一言に尽きる。

🔑Keys500回に寄せて ―本を読むということ 中竹尚子

私は小さい頃から好きな本を自ら選び読んでいたと思う。それらの本から得た勇気と励ましのおかげでこれまで生きてこれたに違いない。いまさらながら本に感謝をする反面、私は図書館に通うような熱心な読書家ではなかったなと子どもの頃を振り返る。

じゃあ私にとって本とは何だったろう?子どもの頃好きだった本は『若草物語』『赤毛のアン』『あしながおじさん』と少女たちの成長物語。この類のものと期待してチェーホフの『三人姉妹・桜の薗』を読み始めたが、途中で挫折したのも鮮明に覚えている。なんで子どもの頃の私は本を手に取るようになったのだろうか。私は生来寝つきが悪く眠れない夜には本を夢中で読んでいた。きっと都合が良かったに違いない。

そんな私が高校生の頃には夏目漱石やトルストイなどを夢中になって読んでいたこともあり、人生の糧になるだろう沢山の本に出合えることを期待し、福岡女子大学の文学部に身を置いた。

その学生時代に声をかけてもらってKeysに出合うことができた。ひと月ごとに幹事から紹介された本を読み喧々囂々意見を交わす場は刺激的だったが、結婚をきっかけにあっけなく休会状態になってしまった。また、子どもが誕生してからは、夜を徹して夢中で本を読もうとする自らの癖が身体に堪えることを痛感し、本を読むことを自ら禁じ、その頃には多くの本も処分した。

Keysを事実上休会して30年近く経過し、徐々に楽しみとして本を手に取り始めていた時期に、職場がたまたま近かった末信さんに誘われ、勝野さんが幹事の390回目の Keysから再び参加させていただいて今に至っている。

在職中はJR通勤での移動の間が最も集中できる読書時間になっていた。持ち歩きやすくめくりやすい文庫本との相性が非常に良くなっていた。Keysで紹介された本を通勤中に読めるようになると、ひと月ごとに選ばれた本を次々に読めるのが楽しくなっていった。自分が選んだ本でないことも面白い。どうしてこの本を紹介してくれたのだろうかと、その思いまで勝手に想像し、読み進めながら勝手に納得して楽しんでいる。

今は仕事も辞め、読書自体を楽しむ時間や場所に余裕ができ、さらに読書後のコメント投稿も加わったことで毎月の楽しみが倍増している。同じ本を読んでも、そこから感じることはそれぞれで、コメントからの気付きがさらに本の魅力を際立たせてくれる。例えば今年4月、渡邊さんが紹介された本、ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』は、私自身、事前の知識がほぼ無い中で読み始めたが、詩のような小説で一回読み終わってもわからないことが多く呆然とした。だからこそ、各人のコメントで感じ切り取られたところがそれぞれで面白く、書評まで読み進めた紹介もあってありがたかった。

最後に、幹事になったら日頃これを読みたいと思っていた本を紹介させてもらうが、Keysの各人が同じタイミングで読み始めてくれると思うとありがたく、コメントを読めることを期待するのもささやかな楽しみになっている。このように本を読むという楽しみ、その楽しみが立体的に膨らみ続けているのがKeysでの読書であり、この読書会という場が、確かに私の人生を豊かにしてくれていると実感している。

🔑感謝 千葉敦子

何よりもまずKeys500回を祝したいと思います。そして、これほど長い間、1冊1冊とつないでくださった山中先生、中島さんを始めメンバーの皆さんに心から感謝いたします。

500冊、すごい数になったものです。40年以上もの間、よく続けてくることができたものです。500冊全てを読めているわけではありませんが、本を読むという行為が常に私のそばにあったことがどれほど幸いなことだったかと、今つくづく感じています。私にとって、現実とは全く異なる時空を旅する時間は、日常のいろいろなことを忘れさせてくれる時間です。かつて40代、50代のころは大変忙しい仕事中心の毎日でしたが、それでもそれなりに常に本を手元に置いてきました。長年、読んだ本の名前を著者とともにノートに書き留めているのですが、最近我ながら笑ってしまったのは、今は仕事を辞めて暇になったのに、それまでの半分くらいしか本を読めていないのです。時間があるなしの問題ではなく、現役時代それほど忘れたいことが多くあったということだったのでしょうか(笑)。

中学のころある友人から「二重人格という言い方があるけど、デコは四重人格だよね」と言われたときから意識し始め、それからずっと自分という人間がどんな人間なのか分からず、ずっとモヤモヤ、ウジウジしてきたように思います。多かれ少なかれ皆さんそうなのかもしれませんが、周りの人が評してくださる「私」と自分自身が思っている「私」がすごく乖離していて、頑張り過ぎてみたり、自己嫌悪に陥ったりもしました。そういうとき、実に出会った本たちに勇気付けられ、励まされ、自分の至らなさを指摘され、自らを形作っていくことを助けてもらってきたと思っています。「運命を愛し、希望に生きる」「期待を棄てたところでこそほんとうの<待つ>がはじまる」「それ(要石)が割れればもう石垣は組めない」「おいしいって思うことが、楽しいって思うことが、うれしいって思うことが、生きていくためにどれだけ大事か・・・」今も、出会った言葉たちが私の中に何かを残してくれています。

300回記念の「Keysの歩み」に、「私にとってKeysそのものが、人生で出会った最高の『本』のようなものだと思っています」と書かせていただきました。その思いは今も変わっていません。メンバーの皆さんからたくさんの刺激をいただき、考え方の幅を広げていただきました。何より、杉山先生の「『トクトク』と流れ出る酒の音、『チャリン』となる蚊帳の落ちる音」から始まって、Keysを通して読書の楽しさをたくさん教えていただきました。そして今は、本の世界から演劇の世界へと楽しみの幅を広げるきっかけをいただいています。感謝!

私は仕事を辞めたあと、2023年4月に脳梗塞を患いました。自律神経の乱れから呼吸が乱れ、そこから心臓が心房細動を起こすようになり、それが原因で脳梗塞を起こしたということのようなのですが、そのプロセスを考えれば、やはり本を正せばストレスが原因ということになるのでしょうか。幸い大きな後遺症は残りませんでしたが、同じ時期に同世代の友人を何人も亡くしたこともあり、これからの時間のことをすごく考えるようになりました。そんなに長生きがしたいわけではありませんが、できれば寝たきりにはなりたくありませんし、ペースメーカーをつけるようなハメにもなりたくありません。もうすぐ65才!ここまで来たら、ここからは少々(周りに多大な迷惑をかけてはいけないけれど)わがままに、好きなようにやっていきたいと思うのです。こうすべき、こうあるべき、という拘りをできるだけ捨てて、何も期待せず(諦めではなく、ありのままを受けとめて)、軽やかに終活できればいいと、そう思っています。(現実はなかなか思うようにはいきませんけれど。トホホ・・・)

紙の本からKindleへと時代は変わってきましたが、これからも良い本を読み続けられますよう、Keysを通して豊かな交わりのときが与えられますよう、そして何より、メンバー全員が元気で、まだまだこれからもKeysを続けられますよう、願ってやみません。Keysに感謝!!

🔑山葵、そして滋養スープ 末信みゆき

この会が、42年目、500回を超え繋がれてきたことへの感銘とその絆に対して感謝を心に深く刻んでおります。

遠い昔、大学在学中の山中ゼミの頃から、しばしばkeysのお話を伺っていたので、記憶が混在しておりますが、私がkeysに始めて参加させていただいたのは、大学卒業前後の頃だったかと思います。その若かりし頃の私にとってのkeysを私流に表現しますと、おろしたての「山葵」。毎回、ピリピリとした緊張感をもって臨み、その場での言葉のやり取りに刺激を受けました、ツーンと辛味が強すぎて、私にはついていけない世界かも…と感じたこともしばしば。しかし、その刺激が妙味ゆえにドキドキしながら参加してしまうのでした。

初幹事は、1988年第55回で、井上ひさし著『十二人の手紙』。それはもう大変な緊張でした。でも、正真正銘のメンバーになった実感がありました。懐かしい!

昔はLINEもメールもなく、幹事は急いで本と日時を決めて、個別にご案内をしていたことを考えると隔世の感を覚えます。

幹事の時の本選びは毎回行き当たりばったりの試行錯誤ですし、紹介いただいた本も読了していないものが多く、この会に属しながら、読書の習慣が身についていないのは情けないところ。最近はお休みも多くて、全く不良メンバーと自覚してます(笑)。そんな私でも、いつも穏やかに受け入れてくださるkeysの皆さまに、自己肯定感を育てていただいた感があります。

keysは年月とともに、「無理をせず、ゆるく続けていこう」と有り様は変化してきました。私にとってのkeysも、いつ頃からか、山葵のツンは薄れて、今は、リラックスしてほっと温まることができる「滋養スープ」のようになっています。会に参加していなくても、いつでもあの居心地良い場に行けると感じられる、長年に亘る絶対的な安心感と信頼感があります。有難いことです。

これからもkeysの絆を繋いでまいりましょう。

最後に、山中先生や松尾さんが貴重な記録を残してきて下さったことに心より感謝と敬意を表します。

🔑Keysに迎えられたことに感謝 島崎寛子

もうすぐ退職という時期に先生がKeysに誘ってくださいました。人生の次のステップとして新しい出会いと喜びを紹介していただき、ありがとうございます。Keysの一番の醍醐味は、自分では見つけることのないだろうという本に出会う事です。食事やお酒を交わしながら、メンバーたちと本に関する感想や意見、自分たちの近況を語り合うのは、最高の勉学の場です。

仕事の合間に帰福できそうな時、本を読める時間が持てそうな時、次の「課題」の本を入手して読むのがとても楽しみです。仕事と日頃の雑用から解放される時、「本」を読む楽しみを再び見出すことができます。パソコンの発達で、オンラインの書誌を読むことが増えました。パソコンやタブレット上では、部分的な読みとなることが可能で、検索するのにはとても便利になりました。しかし、全体としての物語を振り返る時、私は紙の本の見やすさ、ゆっくりモードが好きです。

最近読ませていただいた本で感動したのは、『塞王の楯』です。私は時代小説と呼ばれる本はほとんど読んだことがなかったのですが、関ヶ原の戦いの前哨戦となった大津城の戦いを舞台に、城を守るため石垣を築く「穴太衆」の飛田匡介と、どんな石垣も打ち破ろうと鉄砲を作る鍛冶「国友衆」の国友彦九郎の戦いの物語に心惹かれました。

登場人物たちの心の動きにもワクワクしましたが、私の発見は、ものづくりの基礎がこの時代に既にあったという事です。石垣を築く「穴太衆」の仕事がこれほど分業化されていたとは知りませんでした。どのような石垣を作るか、石垣に必要な石をどこから手に入れるか、石をどのように切るか、石をどのように運ぶか、石をどこで受け取り、石をどのように組み立てるか、石が壊れたらどのように修理するか、という作業は、まさに現在の自動車工場の作業要領と同じです。「石垣」を「自動車」に、「石」を「部品、材料」に置き換えれば、現代の自動車工場が行なっている車の設計(設計部)、部品の調達(調達部)、部品の組み立て(製造部)、完成車の配送(生産管理部)と取り組む内容は同じです。この物語を読んで、ものづくりの基礎が、城を築いていた時代に既にあったことに感銘を受けました。戦いが多かった近江、尾張、三河地方では、多くの城が築かれ、その結果ものづくりの基礎が構築され、その伝統が近代ものづくり産業の発展に繋がったのではと気づきました。物事は突然できるようになるのではなく、長い時間を経て今があることをあらためて教えられました。

実際に目に見えるものづくりだけでなく、顕著に見えにくい日本人の習慣も、長い時間を経た結果だと教えられたのは宮本常一の『忘れられた日本人』を読んでからです。鎌倉時代の頃から、宗教的な集まりとして「講」というものがありました。代表的な例は、「お伊勢講」と言って、遠方にある伊勢神宮に参拝するためにお金を村で積み立て、代表が交代でその積立金で伊勢神宮に詣でるための互助組織が存在しました。「講」という互助組織は宗教的な活動だけでなく、女性たちが情報交換する集まりにも応用されました。金融機関としての「頼母子講(たのもしこう)」は、鎌倉時代から存在し、民間でお金を貸借する銀行のようなものでした。

この「頼母子講」は、19世紀末にアメリカに渡った日本人の移住者に大変役に立ちました。その頃、アメリカでは日本人がアメリカの銀行を利用することができませんでした。外国で農業や商業を営むために資金が必要な時、日本人たちは仲間で「頼母子講」を組織して、助け合いました。今では民間人が銀行業を営むことは許されていません。しかし、その昔、家族の慶弔にお金が必要な時に、村の人々が積み立てたお金を貸借できる計画的な組織は、実用的だったと思います。この「講」という互助組織は、日本人の助け合いの精神からきているのではないでしょうか。大袈裟に言えば、日本の皆保険制度が現在あるのは、この精神が生きているからだと思います。人は元気な時もあるが、突然思わぬ病気に罹患する時もあります。困っている人を助けよう、という優しい日本人の心がここに残っていると感じます。時代が変わっても、優しい日本人の心を忘れてはならない。それが『忘れられた日本人』にはあると宮本常一は訴えているのではないでしょうか。

今の仕事が一段落したら、もっと本を読み、Keysのメンバーと語り合えるように時間を作ることが今の私の目標です。これからも、どうぞよろしくお願いします。

🔑KEYS的世界の行方 ―私の場合 金城博子

日付をまわった深夜、冷蔵庫から麦茶を取り出してひと息に飲み干しました。目の前の食卓には読み終わったばかりの本『カフネ』(阿部暁子著、25年6月千葉敦子さん選)が置いてあります。読み残していた後半半分を週末の今夜読むことに決めて、先ほど読み終えたのでした。一冊の本を読み終えた充実感は何ともいえません。読み終わった余韻にひたりつつ、今度のコメントはどの部分にしようかなとまた本をめくって。KEYS本ならではの二度読みの夜はゆっくり更けていきます。

読書の楽しさには、本のタイトルや表紙などから想像する期待感、読み進んでいく中で物語に入り込んでいく没入感、読み終えた直後の余韻や充実感などがあると思います。私の場合は読んでいくうちに、暮らしの中で無意識に緊張している感情がゆっくりほどけていくような感じがあります。集団行動が求められる日常は時に息苦しく、日々を穏やかに過ごすために少なからず緊張しています。そんな日常をいったん離れる時間が読書なのです。自分では選びえないKEYS本の世界で出合う人物や物事からは新しい視点に気づかされます。その視点から湧いてくる自分の感情は、日常の緊張でかたまった糸がほどけて軽く、そして自由です。作品によっては重いこともありますがそれもまた良しなのです。

KEYSは読書会でありながら、課題の本を読んでいるかどうかは問わないという暗黙の了解があります。本のことだけでなく、会わない間の心模様を自由に語っていい、語らなくてもいいのです。かっては幹事指定の会場にたどりつかないと参加がかなわない「場所」でしたが、コロナ渦で初めてオンラインKEYS(23.5.20千葉さん幹事)が開催されて一変しました。リモート参加が可能になったのです。モニターを通して久しぶりにメンバーと対面した時ネット技術の革新に初めて感謝しました。その後KEYSコメント欄に本の感想が掲載されるようになりました。対面の集まりができるようになった今日でも読後コメント方式が維持されていることは、柔軟なKEYSの素晴らしいところです。ここでも言えるのは、自分の声であれば何を語ってもいいということでしょうか。「遠くから参加できる場所」になったKEYSに、ほどけた感情をテキストにして投稿する試行錯誤を楽しんでいます。最後に、これまでKEYSと共につかずはなれず歩んできたすべての皆さんに感謝して、KEYS500回に寄せたメッセージを締めくくりたいと思います。

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🔑祝KEYS500回!! 勝野真紀子

最近街の本屋さんがどんどん減ってきているというニュースをよく目にします。

つい先日、駅併設の本屋さんに久しぶりに立ち寄ったところ、すっかり様変わりして別の新しい店舗となっていました。

「デートの待ち合わせ」と言えば本屋さん、それすらもう「今は昔」となってしまったのかもしれません。老若男女いろんな年代の人々が時間を気にせずふらりと立ち寄り、思い思いに手にした本を眺めている光景が失われていくのは非常に残念に思います。

さて、この度の『KEYS500回記念』はこれまでの読書人生を振り返る良い機会となりました。毎月一冊の本を選び、集い、語らい、そして500回という途轍もない時間を記録に残し続けてきたこの「KEYSの歩み」は何物にも換え難い宝物です。

丁々発止の議論で夜を徹して熱く語り合った血気盛んな女子大生も人生の荒波にぶつかり乗り越え、いまや前期高齢者と呼ばれる年齢に差し掛かって参りました。(浦島太郎さんもあっと驚くこと間違いありませんね。)

本の楽しさを知った幼年期、手当たり次第読み漁った学生時代、限られた時間を惜しむように本と向き合った子育て期間、そしてめっきり読量も減ってしまい還暦を過ぎた現在ですが、新しい本を手にし、未だ見ぬ世界へと最初のページを開く時、味わう一瞬の緊張感や逸るような高揚感は今も昔も変わることはありません。

42年間という「KEYSの歴史」の中で陰になり日向となり支えてくださった皆様方へ、『KEYS500回記念』心からお祝い申し上げます。